2012-11-17 坐忘(ざぼう)

  心は、それこそ、どのようにでも、いいあらわす事ができます。
古人は、心の漢字を、逆さまに書いて、(心・こころに、きまりなど、ありはしない)と言葉をそえています。
めちゃくちゃ・な心を、なんでもあり・の心を、東西南北上下斜め・の心を、明日今日昨日のまじった心を、未来現在過去にひかれている心を、あなた わたし かれ かのじょにかかわる心を、物 お金 にふりまはされる心を、自分のようで 自分でない心を、   (きまりなど、ありはしない)と   いい表現しているのでしょう。
  これは、困ります。 これでは、疲れます。  きちんと考え整える事が、嫌になります。
やけになり(さっぱりと・さはやかに・あかるく・見とうしよく・風とうしよく  生きたい)という、人間の根本的願い・欲求を失くさせてしまいます。    これほど尊い<願い>は、ありはしない。 人の<とうとさ・尊厳>を、私は、この<願い>に感じています。
  しかし、世の中  家族・親族・仲間・地域・・・社会・国家・世界の中において   まさに  ばらばらになってしまいます    もしくは一色に染まりやすく、       <願い>を失くしてしまう        
 、困り疲れます。       そこで、、、、、、、、、、だからこそ、、、、、、、、、、

     鐘・撞木の世界から、しばし、離れる
     両忘の境(世界)へ                     ゆっくり坐る  天地(てんち)いっしょ
                                      ゆっくり、息を   ゆっくり ゆっくり
                                      心を亡くす(こころ を なくす)

         駄弁です                                        残月
    

コメント

タイトルとURLをコピーしました