< 鐘と撞木の、二つとも・両方とも、忘れる事>・・・・・・(時には、時々、折に触れ)
ゴーーンと鳴っても、鐘とか撞木とか、気にしない事
ゴーーン・ゴーーンと鳴っても、自分の心が鳴っていると思える事
ゴーーン・ゴーーン・ゴーーンと鳴っても、何も鳴っていないと、感じる事
すべて、好き・嫌い、損・得、善・悪、男・女、夜・昼、老・若、生・死、増・減、あまい・からい、、、、、、、、、、
とにかく、私たちは、あっちへ行ったり、こっちへ行ったりして、フラフラして疲れがちになりやすい
時には、どちらでもかまわないという、いいかげんでなく、心の底から、このように思い定めたく存じます
なぜならば、こここそ、安らぎ・心のおきどころ・のような気がするからです
こここそ、休息所・また皆の広場のようなに感じるからです
こここそ、絶対の平等ではないでしょうか
こここそ、いやし・ゆるし・いたわり
こここそ、いのり・はんせい
こここそ、生きる・生きつずけていく土台
こここそ、希望
こここそ、忍耐
こここそ、真・信・心・新・神・身ではないでしょうか?
駄弁なり 残月
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