9-6 忍耐と希望

長い間、人間とは何か・幸福とは何か、考え追究してきました。 
するとなんと、数千年の歴史に語りつがれ、先人が口すっぱくおっしゃられている、
(忍耐)と(希望)にたどり着いてしまった気がします。
そんな馬鹿な、という気持ちです。ありきたりではないか?でも、やはりそうなのか、大切なことは。

(忍耐)を身につけるには、どうしたらよいのか? 
(希望)を身につけるには、どうしたらよいのか?
逆境にまけぬ・のみこまれない・ふりまわされない、自分をどう作り・保ったらよいのだどうか?

人は、(なすべき事)・(したい事)・(できる事)があり、この三つの不調和に苦るしみ、
幸福をあじわいきれずに、いるような気がします。
三つが調和し、幸福感がもてる時は、おそらく(忍耐)(希望)が、本日は、身についているのでしょう。

比較的裕福な日本人が、生きている事をつまらなく感じ、不満・不安・不服・不平だらけなのは、
(したい事)が多すぎたり、人間として(なすべき事)に気ずかなかったり、日常の小さな(できる事)を大切に
してないからかもしれない。
       嵐山から、悲心をこめて。          道忠  合掌

コメント

  1. 匿名 より:

    8日、「Great View」と書かれた看板を信じて大悲閣選千光寺にたどり着きました。中に入り、プリントの数々に驚かされて、その内容にまた驚かされ、中央の机に座った時、正にそこで絶景を見た思いでした。
    全く予期していなかった光景に、これこそ仏様のお導きなのかと思いました。私は今、ある意味では争いごとをしています。私は自分の考えが正しいと信じていましたので、それを誠実に伝えれば、賛同してもらえなかったとしても、その行動の理由は周囲の人たちにも理解してもらえると信じていました。
    しかしそうではなかった。理解してもらえない理由はたくさんあると思います。自分の説明不足、伝え方のまずさ、タイミング、などなど。8日の夜、京都から帰宅すると、その相手から、私をおとしめるような文章が届いており、更に驚き、愕然としました。今朝もずっとそのことが頭から離れずに、ノイローゼになりそうなくらい。正に、自分を保つことが困難になるほど。
    私はその人と喧嘩したいわけではないし、争いたいわけじゃない。自分の思いが正確に相手に伝われば、きっと理解してくれると信じて、発言してきたつもりです。(決して相手を悪く行った覚えはないですし、彼は彼なりに正しいと思って行動していると思いますが、答えは一つではないと言っているのです)
    私は今、ためされているような気がします。忍耐を身につけよと。相手も、私が相手の主張に賛同しないことに憤りを感じているらしく、先日は「キチガイ」呼ばわりされる始末。もちろん、私からそのようなことを言うつもりはありませんが、私はきっと次に彼と会う時に、冷静でいられるかは自信がありません。
    逆境にまけぬ・のみこまれない・ふりまわされない、自分をどう作り・保ったらよいのだどうか?
    このブログも、正に今、自分のためにあるような思いで読ませていただきました。
    また、必ず伺いたいと思います。

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