2-26 再考 ( 1?24・26  3冊の手帳 )

       1冊目ー社会人・学校人・家庭人・(集団・組織・共同体・・・・・・)
       2冊目ー自分だけの世界・心の世界
       3冊目ー永遠・無限・瞬間・超越・不二一如の世界・・・・・・

       1 を支える 2冊目の世界
       2 を支える 3冊目の世界
       3 を支える 1・2冊目の世界

       1 生活
       2 生存
       3 生命

       1 聞慧 (ぶんえ  聞いてみにつく知恵)
       2 思慧 (しえ   思ってみにつく知恵)
       3 修慧 (しゅうえ  実行してみにつく知恵)

       1 みんな のために
       2 自分  のために
       3 <・・・・>のために   (ため)がない

       1 世のため  人のため
       2 真・善・美のため
       3 命・心のため
         3冊の手帳を、持ちたいものでございます。
         バランスよく、かたよらずに。

        自戒ー私・宗教人の< いましめ >・4冊目を持つこと。
            持たないのなら、間違う。 ( 3が、1・2になるから )

     駄弁ですが大切です     残月       合掌

2-25 理想の心境  (2)

      故郷にて・・・・・・海と山  空気までもが  美しや
                  心にしみいる  老母の笑顔

      理想の心境 (1)  「 自分以外、皆、師である 」

    理想の心境 (2)は、
 非常に、むずかしい、人生の最後の< 心境 >です。 
 どなたも、だれも、わたしも、あなたも、その様には、< 思う事 >はできないと、
感じますが、記述してみたいと存じます。

   以前、20年以上前に、書店で取り寄せてもらった、アメリカ・インデアンの
長老の詩集です。  ご存知の方々も、多くいらっしゃる事と察せられます。
書名そのものが、( 理想の心境 )と、私は感じます。 私、できるかな? (笑)

   誤解を、招きやすいかもしれない。 実際には、アメリカで( 悪用 )
された事がありました。  ( 完全な誤解・曲解による、事件でしたが。 )

   愚僧は、やはり、記述できない。
ただ、(  笑って、死を、受け入れる  )という事です。
そのように、できるように、日々、< こころ と からだ >を、まさに、
鍛えて(きたえて)いかなくては、ならないなーーと存じます。

  このことは、< 自分以外に求めるのでなく、自分に求める事 >が、
  絶対の条件・前提です。 < 他者に求めては、ならない >。
 
    鍛えるとは< 鉄を、火で熱くし、打ったり、冷やしたり
  して、強くする事。  これを、繰り返す。 >ようなことですね。
  むずかしそうです。  でも、少しずつ、くりかえしたく存知ます。
  よりよき人生のために。  強い< こころ と からだ >のために。

      駄弁です( 京都から )    残月    合掌

2-24 涅槃会  <10>  阿難尊者

   キリスト教のイエス様の十大弟子のように、
仏教のお釈迦様の、十大弟子も、同じく人類のよき先生方です。
儒教の孔子様の御弟子方も、皆、立派で、かつ人間味に溢れていて、
面白い方々ですね。 きっと、他の宗教もそうなのでしょう。

  昔、修業道場に入る前、中にいる人々は、没個性の同じように
なってしまうのではないかと、心配したものでした。  なにせ、
同じ食事・同じ睡眠・同じ場所・同じおやつ(笑)・同じ先生・同じ・・
同じ事ばかり、同じ衣服だし・・・・・ところがどうでしょう。
 なんと、色どりあふれた個性どころか、奇妙な癖をもつような人ばかり
なのでした。 よくいえば面白く、わるくいえば変人のようです。(笑)
( 小生も、愚僧も、むかしから 変人といわれてますが・・  大笑  )

  例外も多いでしょうが、(笑)
普遍的な、真理・あるもの・あること・・・を求めていると
返って、個性的になっている・いく ような気がいたします。
 変わらない・何かを、求めているかぎり、
自分は、絶えず、変わっている・いかなければ、ならない
ような気がいたします。

  世間でいう個性は、あえて、求めなくてもいいのかもしれません。
時代をこえ、国をこえ、あらゆる権力・権威をこえて、
あらゆる物事人に、価値ある、何かを、しっかりと、
とらえてみたいもので ございますが 。  すると、個性どころか、
超個性になってしまって、大変ですね 。  (笑)

      ・  駅の時間になってきました。
         失礼いたします。    つづく

   駄弁です、つよく生きるために。       残月        合掌

2-23 涅槃会 <9>   その絵図より

    春のたより・・・・・・   ほのかなる  春の気配の  川柳(かわやなぎ)
                  風のたわむれ   しばし待つなり   (笑)

  釈尊が亡くなり、弟子の一人が泣き伏しています。  おそらく、いつも、どこでも、
いっしょに行動・御生活をしていた、アナン尊者だと、察せられます。
 従弟でもございます。

 御弟子の中で、一番多く < 説教 >を聞いていたと言われています。
後日、< 御説教 >を整理していく時に、たいへん御活躍なさられました。 なにせ、
一番御側で、拝聴していたのですから。(笑)

 また、< 経典 >( 説教集 )( 漢訳・中国語 )が、ほとんど、
「 如是 我聞 」 「 にょぜ がもん 」
「 われ かくのごとく きけり 」 「 私は このように うけたまわった 」で、
はじまります。  この< 我 >は、まさに阿難尊者でございます。

 そういえば、皆さま御存知の< 般若心経 >の中の、「 舎利子 しゃりし 」は
シャーリプトラ尊者といわれる御弟子様です。  心経で説かれている、
「 般若( はんにゃ )の知恵 」を、一番理解していた方でございます。 
( 釈尊より御年長だった気がいたします。 )そういう事での、御登場です。

  物事人を< 区別する知恵 >だけでなく、< 同じとする知恵 >でもって、
慈悲深く、教団の長老として御生活( 求道・伝道 )をなさられたそうです。

    ・ 以上は、昨夜、準備いたしましたが、net に掲載
        できませんでした。 (笑)
        明日は、また、できないかもしれません。 ( あかんなー)

    ・ 阿難尊者  つづき ます。

    駄弁ですが、努力してます (笑)     残月     合掌 

大悲閣千光寺HP準備室よりのお知らせ

いつも大悲閣千光寺のhP、並びにブログをご覧頂きましてありがとうございます。

先ほど住職から、来週の月曜日(2月25日)まで京都を離れるとの伝言がありました。
出先より、ブログの執筆を試みたそうですが、残念ながらネット接続ができなかったと言う事でした。

ブログ再開は、火曜日(2月26日)からとなる予定です。
ご迷惑をおかけいたしますが、26日よりのブログをお待ちいただきたいと思います。

よろしくお願いいたします。

大悲閣千光寺HP準備室 
鳥澤

2-22 涅槃会<8>  (思い込み)と 御念仏

    桜のおしらせ・・・・・・みぞれ舞う  みどりの川も  かわらずに
                 春へとむかい  今日も流るる   (笑)

    ある歴史作家が、おっしゃられていました、「 ある歴史的舞台へいきます。
 その場所に、実際に立つと、( 考えていた事・予想していた事・思い込んでいた事 )が、
ものの見事に、破壊されることがあります。  これは< 快感 >であります。 」と。

 ( 思い込む )動物が、人間の様な気がいたします。 
でも、自分を縛ったり、自分以外を縛ったりして、苦しむような( 思い込み )は、
なるべく持たないほうが、いいように思えます。 でも、持ってしまいます。( 笑 )

  ある作家ではございませんが、( 思い込みを こわす < 快感 > )を、
どなたも、御存知・御体験なさられると、察せられます。 小さくても、少なくても。

 < 意外と・・・ >< 驚き >< 感動 >< 感銘 >< 感激 >・・・・・・・などは、
このことを、表現しているのかもしれません。

 ( 思い込み )・ 物事たいする( 決め込み )が、多くまた強いと、< 感動 >体験は、
少なくなりがちです。  楽しくない。 生きていて< おもしろくない >。
  これは大変だ。( 笑 )  のりこえられます。 御いっしょに。 お若くなれます(笑)

  自分以外の何かに、 
( 思い込み )をもたされ、( 決め込み )をもたされる事も多い、
ここで、「 負けては ならない 」 「 くじけては なるまい 」 「 しっかりせよ 」
「 世間に まけるな 」 「 浮世に 流されるな 」 で、ございます。

    涅槃図の中の弟子について・念仏についての(つもり)が、(思い込み)が
  こわれました。 快感? (笑)  失礼いたしました。  つづく

         駄弁です       残月        合掌

 

2-21 涅槃会 <7>  (思い込み)からの自由

    桜のおしらせ・・・・・・・・寒風に 色も香もなき 花なれど 静かに咲ける
                  亀嵐の山寺    (亀山に対面してる、嵐山の寺)

  
   < 私 >は、( 000人である )・( 男性・女性である )
            ( 体重は00キログラム)・( 身長00センチ )
            ( 出身は00県です )・( 父母は0000です )
            ( 学校は0000です )・( 職業は0000です )
            ( 友人は0000です )・( 彼氏・彼女は000です )
            ( 家族は000です )・( 収入は000です )
            ( 借金は000です )・( 財産は000です )
            ( 持病は0000です )・( 傷は000にある )
            ・・・・・・・・・         ・・・・・・・・・・
            色々な事項・事実はありますが、( これらの事 )を
            < 私 >と( 思いこむ )必要はない。

            でも、( 思い込まされてしまう )。
            他に、< 人に・友に・知人に・先生に・社会に・国に・時代に・・>
            そして、自由に動けなくなり、ぜんぜん楽しくなく なりがちです。

            すると、昨日の< 理想の心境 >のような、内面的な目的・希望・
            こころざし( 志 )が、とてもとても、大切になります。

            あらゆる事項・条件に、関係なく、
            < 自分と自分以外を、少しでも、よくしたい >という
            < 善念・仏心・真心・神意・・・・・・・・>のみが、
            本来、< 私 >を支えるもの と考えられます。

            あらゆる事項・条件を、受け入れつつ、
           ( 思い込み ながら  思い込まない )(笑)、 ためには、
            こころざし・心のめざす事柄が、最重要です。 何歳のお方も。

                 駄弁です      残月     合掌
            

2-20 涅槃会 <6>  ( 思いこみ )と 我

   桜のおしらせ・・・・・・・・とにかく、まだ山は寒いです。
                 しかし、梅のつぼみが、とても かわいい。

   理想の< 心境 >の一つを、昨日の自分の文章を読み返して、思い出しました。
 < 自分以外 >が多い文章でしたので、この言葉が急に、頭の中に浮かんできました。
戦後の有名小説家の、御言葉です。 御苦労なさられ、ついに人気作家になられました。
(  剣豪・宮本 武蔵の生きざまを、現代によみがえらせ、人々を勇気づけました  )

    < 自分以外、皆、師である >
  このように、思えるように、
  このように、他者を考えるように、なれたら、すばらしい。
  むずかしい事だと、存じます。

  でも、この< 心境 >をめざしたいものでございます。
  あきらめず、求めつづけて行く。 これが< 修行 >です。
  いやになる、壁にぶつかる、(  いたい )、ここで、< 工夫(くふう) >です。
  壁を、正面から見る。 正しく見る。 あせらず見る。 < 知恵(ちえ) >がでる。

  < 自分以外 >とは、人間にかぎらず、動物も植物も、あそらく鉱物も、
  存在するもの全て、です。  また、かつて、存在した全てでもあるでしょう。
  ( どれだけ多くの亡くなった方々に、教えられてきたでしょうか。 )

  いやな人・嫌いな人・こわい人・わたしを嫌う人・・・・・・・・・
  たくさん・たくさん いらっしゃることでしょう。(笑)
  人として、< 理想の境地 >にむかって、共に歩もうではありませんか。

  < 思いこみ >を捨てることです。  あの人は、この人は、彼は、彼女、貴方は、・・
  赤・白・緑・黄・青・黒・紫・・・、色つけを、やめる事が大切に思われます。
     すると、不安になるかも? 大丈夫、次のように、思ってください。 
  < 人は、皆、神の子・仏の子 > <今、どのような人も、理想の心境を求めてる>と。

         駄弁です         残月       合掌

        

                

  

2-19 涅槃会 <5>  無我の喜び

    桜のおしらせ・・・・・・・寒風が、吹き荒れています。 
                 足のかかどの、ひびわれが、とても痛い(笑)。

  どなたも、< 我の苦悩 >をご存知です。
  どなたも、< 無我の喜び >をご存知です。

  < 我 >を捨てること、とても、むずかしい。
  < 我 >を離れること、から。

  < よい行い >とは、< 我 から 離れること >
  < 善を積む >とは、< 我 から 離れること >
  < やすらぎ >とは、< 我 から 離れること >

  < 我 から 離れること >とは?

  < 自分を捨てること >なのか?  ちがう。
  < 自分を粗末にすること >なのか?   ちがう。
  < 自分を愛さないこと >なのか?   ちがう。
  < 自分を嫌うこと >なのか?   ちがう。

  < 自分以外に たよる >    ・・・・
  < 自分以外に まかせる >  ・・・・
  < 自分以外に まなぶ >   ・・・・
  < 自分以外に あまえる >  ・・・・
  < 自分以外に おねがいする > ・・・・

  < 自分 >と< 自分以外 >の( よい関係 )を、もちたいものです。

  < 我から 離れると、( 光 )に、出会える >ことを、
  どなたも、ご存知の< 無我の喜び >を、
  根本・基礎にした関係でございます。    つづく

       駄弁です       残月      合掌

2-18 涅槃会(ねはん え) <4>  我の苦悩

    釈尊が亡くなった情景の< 絵図 >に、人間・弟子・動物・昆虫・人間界以外の何か・
   また、あらゆる生物が、回りを取り囲んでいます。  何故なのでしょうか。

    私たち生物は、生きるため・生存のために、< 我 >をもち、その維持・存続のために、
   ほかの・他の< 我 >と、< 対立(たいりつ) >し、苦悩します。

    私たち生物は、苦悩して当然だと、思いこんでいます。
   でも、釈尊は、簡単に言っています。 「 < 我 >は無いのだから、苦悩は克服できる 」。
   言葉で語り、自分で、その生きざまを、皆に見てもらったのでした。
   あらゆる生物は< 我 >に苦しむ。 ( 特に、人間は。 )
   しかし、あらるる< 我 >もつものは救われる、という< 絵図 >なのでございます。
   
    < 我 >が無ければ、この< 私 >は何なのだろうか?
   < 我 >が無ければ、この< 私 >は< 仏の子 >である。
   < 我 >が無ければ、この< 私 >は< 神の子 >である。
   < 我 >が無ければ、この< 私 >は< 真理の子 >である。
   < 我 >が無ければ、この< 私 >は< 天地の子 >である。
   < 我 >が無ければ、この< 私 >は< あなた >である。

    地球の上の 私たち人間は、
   < 我 >と< 自然 >との、対立・共存のみならず、
   < 我 >と< 我 >の対立・共存で、生存てきました。
   < 支配する・支配される の世界 >です。
   今もそうかもしれません、おそらく、まだまだ、残念ながら、いたるところで。
   でも、日本にかぎるなら、戦国時代は終わっている。(経済界は知らない)
   
   そして、私たち自身も、< 我 >と< 我 >の対立の戦国時代を終わらせ、
   < 無我 >< 仏心 >による生存界( 家庭・地域・町・社会・共同体・・・)
   を、一歩一歩、少しずつ、築いてゆきたいもので、ございます。
     語り尽くされた事です、申し訳ございません。  ただ、私たちは、
   共に、実践・実行していきたく存じます。    切に、 お願い申しあげます。

           駄弁です         残月     合掌