7月4日(木)  100歳の日本男児<4>

       何故、< 日本 男児 >と小生は記述しているのか?
     100歳の先生は、先の戦争を体験されて、います。
     中国大陸に行ってられます。 詳細は、今、思い出せませんが、
     化学の専門家で工場にいたようです。  多くの中国人と
     交流なさっています。
       とにかく、戦後、
     ご自身が70歳こえて、< 社会奉仕・社会恩返し >として、
     中国に小学校を作っています。

       日本社会に、もう小学校は、いらないですね。
     より高度 上質な教育として、私立の学校はできてますが。(笑)

       中国大陸も、朝鮮半島も、まだ行ったことがございません。

      < 仏教 >< 儒教 >から観ても、
   
    「  大陸  」  「  半島  」  「  列島  」で、
  伝わりかた、浸透の度合い、変容のあり様が、当然ちがいます。

     アフリカから発生した人間が、広がって行った。
    「  大陸  」に、とどまった人々。
    「  半島  」に、とどまった人々。
    「  列島  」に、いたった人々。

      その子孫は、< 民族 >となり、
              < 家庭 >を
              < 社会 >を
              < 国家 >を形成したのでしょう。
           ( 離合 集散  りごうしゅうさん )は、当然。

       とにかく、< 民族の精神 >は地理的要因が強いと
     思います。  「 00000、と考えやすい 」とお互いに、
   配慮・考慮・思いやる事も、今、以上に必要でしょう。

      地球の上の『  人類  』という事、
      アフリカから広がった『  人間  』という事を、
   今より強く、もっと、もっと、もっと、強く考えて、
   世界は、アジアは、国家と国家は、
   交流を、深め、広め、高めあっていかなければ、
   ならないですね。 
     (  あたりまえの事ですね、すみません、駄弁です。 )

        100歳の御命

     不平・不満・不服めいた言葉を 話されず
     感謝・大感謝・恩返しに 燃えてられる

     徹底した、自己管理
     おそろしまでの、自己制御
     心 そして 身体にたいして

     食物に、
     100歳にして、
     感動・感激できる「心の純粋さ」、
     歓喜できる「心の純粋さ」
     心身一如
     自他一如

     、、、、、
     、、、、、、、、、、

                   つづく

    駄弁なれど、敬意と愛をこめて    残月   合掌

  
  <  友よ   元気で   いこうぜ   >

              チャオ

7月3日(水)  100歳の日本男児<3>

      「  種( たね )を播く( まく )  」

        芽が出る
        茎が伸びる
        葉を広げる
        花が咲く
        虫が来る
        風が吹く
        実が成る
        土に落ちる
        種と為る。

     先の事など分からない。
  でも、(  よき事  )の種を播く。
  すべて、芽がでるわけでは、ないでしょうに。
  されど、種を播く。

     2000年以上前の釈尊を、思い出しました。
  町・町を 托鉢( たくはつ )
        乞食( こつじき )
        遊行( ゆぎょう )していました。

  このように、批判されます。
    「  なぜ  あなたがたは  働かずいる
      土地を 耕し 自ら 食物を育てないのか? 」

    「  私たちは、人の心を、耕している  」と。

        そして、細かく、語られています。
        < 信 >をもつことの、
        大切さを、説いています。

   あくまで、食物生産量が拡大した時代・社会が成立
   してからの、出来事なのでしょう。

       100歳の御命に問う。

  「 神仏を  どう思われますか ?  」

  「  君、  存在を 証明できるか ?  」

  「  大正時代に、ある神社が、火事になった。
        さあ、神さまは、どうなったのだ  」

  「  神仏によって、( わたし )は
        存在して、おりますが、、、、、」

  「  頭の中だけの事だぞ
       ちがうか           」

  「   いったい何を  尊重されますか?  」

  「  心だ  」

  「  心とは 何ですか? 」

  「  精神だ  」

  「  精神とは  何ですか?  」

  「  生き方だ  」

   ( なるほど )

  「  どなたを  尊敬なさられてますか?  」

  「  父  母   である  」

                    つづく

      100歳の御命に 敬意をこめて
                     残月      合掌

   <   どのような時でも
          心の平安を もてますように。  >

   <   清き光が  満ち満ち溢れ  ますように  >

   <   苦しみ  悲しさが  少しでも  減りますように >

   <   まちがい  かんちがい  を あまりしませんように  >

   <   あらゆる存在が  粗末に  
             また、うとんじ  られませんように >

   <   いち 1  一  >は、< に 2  二  >による。
   <  一  (いち) >は、円満か。
   <  一  >は、< 二 (に) >により成立する。  
            先日のブログの説明のつもり( 笑 )

    < 御病気・御ケガの( なかま )の
            一日でも お早い   ご回復を   >

              小走りで失礼いたします。

  

7月2日(火)  100歳の日本男児<2>

    昨日の つづき  です。
  ブログを書き始めた頃に、数回ご紹介させてもらいました。
70歳を超えてから、自分の財産を、海外に寄付されてきた方です。

  「  日本は もう、 いいのだ  」
  「  世界の日本語学科へ、基本図書の贈呈  」
  「  芸術学科へ、豪華高価な日本絵画集  」
  「  中国へ、小学校の建設  」
  「  英訳 日本国憲法を  世界へ  」
  「  茶室は  京都から 四国の寺院へ  」
  、
  、
  、
  、

この御方のすごい所は、
手数料・梱包料・運送料なども、御寄進されること、
相手方に、一切負担をかけないという、
なさりかた。   できない事です。
<  やるから、よろしく  >は多いらしい。
外務省御役人も、お断りするという、
<  いい事だけど、  時間をさけない  >と。
  でも、先生は、ちがう のでした。
 すべて、こちら持ち、なのです。

  当然ながら、日本の寺院などには、関心ない。
 (  日本は、裕福である。  )
京都の荒廃した山寺などにも、関心はない。(笑)
 (  当たり前です。  小さい世界。  )

  小さな心でない、
  高く、大きく、深い心  で生きてられます。
<  種を 播く   たね を  まく  >
<  未来にたいして   種  を まいている  >

  それは、「  花が咲く種  」でしょう。
 このように、なりたい、ものにございます。

     「  世界中に、いい事されました  」
     「  わしゃ  知らん
           相手が  そう思ってるだけ 」(大笑)

     「  お風呂は、どうされてますか?
           毎日、入っている
           温度調整も自分でする
           一人で、入ってるよ     」

     「   死んだら  どうなるの でしょうか?  
            大地に  帰る
            (大気 とも 聞こえましたが、
            ( 大地でした。
            ( でも、大気も いいですね
            ( 風でなく、気そのもの。    」

     「   人間を  特別 と思ってるだろう。
           犬 猫  と同じ。
               ( 学ぶことが、ちがう )  」

     「   国境は  変わる 。
        、、、、、、、、、、、、    」

     「   神・仏さま  は  どう思われますか?

              君、  存在を証明できるか。  」

         
                         つづく

    敬意をこめて、100年の御命に問う

                      残月      合掌

 <   いかなる時
     いかなる所でも
        しあわせを、感じきれる
            人間に なれますように   >

 <   清き光が
        この世に
          満ち満ち溢れ
             ますように      >

 <   苦しさ   悲しさ が
          少しでも、
             この世から
                減りますように   >

<   御病気・御ケガのなかまの
          1日も早い
             ご回復を     >

      小走りにて   失礼いたします。

  

7月1日(月)  100歳の日本男児

    昨日、午後12時に1本の電話をしました。
 おそる、おそる、(  出て下されますように、 なにとぞ   )
          (  出られないぞ、   む  む  む   )
          (  え え  どうしょう  まさか   )

          (  いらっしゃられた   どなた だろう? )

          「  もし  もし  、 嵐山のーーーですが、、、、 」
          「  、、、様でしょうか?  」
          「  やあ、 ひさしぶりだ   」
          「  100歳、おめでとうございます  」
          「  おぼえてくれてたのか   」
          「  寝たきりの、100歳ではないぞ 」
          「  3回の食事、全部、自分でしているよ 」

          「  ゆつくり よくかんで  いただく  」
          「  口の中に入れて、味がなくなるまで、かむ。 」
          「  味が、無くなってはじめて、のみこむ  」
          「  自然と、腹 6分だ。   8分ではない 」
          「  胃に、負担をかけない  」

          今回はじめて、お聞きしたこと。( 食事のことで )

        
          『  一口、食べるたびに、このように感じている。
             <  うまい。  おいしい。
               こんなものが、この世にあつたのか。 >  』

          100歳の御方なので、ございます。
          食事も、数多くなさられて、いらっしゃる事でしょうに。

          なんという、< 一 >に徹したような、生きざま。
          毎回、< 新鮮 ( しんせん ) >なのでしょう。
          感動・感激に、あふれて られる。
          世にいう、免疫力が、< 生命 >の< 歓喜 >として、
          あふれて くる、来ているような気がいたします。

          バカな事をいいました。 俗に流されて。
          「  先生、  110歳にも  なれそうです  」
          「  アホいうな  そんな事は 考えていない 」
          「  1日 のみ  」

          「  長い歴史の中で、いいもんだけ、残っている。
             それを、学ぶのだ。
             赤ん坊は、ゼロ だ。
             学ぶのだ。

             文字を書ける。
             教えてもらったからだ。
             犬・猫に書けるか?

             教えていただいたのだ。
             言葉を、文字を。
             ありがたいではないか。
             世にたいする、< 恩 >はここにもある。

             < 心を燃やして、恩がえし >
              ・
              ・
              ・                      」
                          つづく

      食事にたいする< 感動・感激 >の教え
                        
                          残月     合掌

    <    すべての存在が
                   円満でございますように。

          存在の交流が
                  円通でございますように。

          命も心も、  円  そのもので、ありますように。

          一  は  円  かもしれない。

          一  は  二  によって  確立する。   >

        (  上記の、先生との対話によって
                 わたしは < 一 >を、深めた。  )

                   失礼いたします。

6月30日(日)  素庵さま <9>

    僧侶・仏教者の小生が、何故、儒教を話すのか?
  と質問されました。   疑問を投げかけられました。(笑)

    ごもっともです。  でも、真の仏教は、ただ、
 「 般若の智慧で、慈悲の実践 」ですから、

 < 般若の智慧から観ると、全ては、『 仏のあらわれ 』
                       『 仏の光 』 なのです。
 < また、慈悲の実践のとき、全ては、『 師 』であり、
                           『 友 』なのです。

      小生は、このブログをとうして、

   「  よりよい人間になりたいという< こころ >を、
           気づき・守り・育てあっていきたく思います。
      よりよい社会をつくりたいという< ねがい >も、
           気づき・守り・育てあっていきたいと存知ます。

       この< こころ >
       この< ねがい >は、みんな・みんな、
          人種・民族・国家・言語に関係なく、
            もっています。( 確信 )( 笑 )( 笑えない )

     そして、ひとり・一人・個個・各々・おのおの・
          日常生活の中から< しあわせ >を
          かんじとって、いただきたい、という気持ちです。

     若輩であり( もう、言えないか )( 笑 )、
          暗愚ですから( 笑 )、
       小生の想像もできない、苦しみ・悲しみの中に、
        いらっしゃられる方々も、
          今、苦悩・苦痛の方々も、
             いらっしゃられる事でしょう、が、、、、、、。

           愚僧は、少しでも、お役に立ちたく願っています。

      ただ、そのための、方法・智慧・教え・・・・は、
    もう、すべて明らかと、小生は存じています。
    もう、10万年の人類の歴史で探究されている
                気がいたしております。
      ( こころ・精神の世界ですが、、、、、)

      実践です。  実行です。
      ただ、 実践・実行です。

         そのためには、どうすべきなのか?
     <  きっかけ・機会・チャンス・タイミング  >が大切。

   そのためには、どうすべきか? ( チャンスをつかむためには )
            <  思い、実践したいという思いを
               より強くしなくては、ならない。
               ( 純粋さ を高める  )
               ( 純度をあげる )事が大切です。

            このために、やはり、
        天地のもと、 閑坐・数息・正心が、必要なのか?
        師友とともに、閑坐・数息・正心が、必要なのか?
          ( こころ・おもい・からだ を 一つにしていく事 )
              

      古人、曰く ( いわく )
   <   (  善をなし   悪をなさない )という事
     3歳の童子も知る、されども、80歳になっても、できない。  >
               
                ガーン、 なぐられた、感じです。

       皆さま、
    あらゆる物・事・人・から、学び、実践していこうでは
           ございませんか。

                                       」

      駄弁です。
       素庵さま、すみません。    残月   合掌

  <  どのようなときでも
         こうふくを  かんじきれますように   >
  <  清き光が  満ち満ち溢れ   ますように >
  <  苦しみ  悲しさが  すこしでも  へりますように >

  <  あらゆる存在が  粗末に  されませんように  >
  <  おさなきもの  よわきものを  大切に   >

  <  まちがい  てちがい  かんちがいを、
        あまりしないように   導きくださいませ  >
  <   不平・不満・不服のまえに、ひと工夫を   
            できますように、 深呼吸     >
  <  人を せめないように。  みな師・みな友ぞ  >

  <  御病気の( なかま )の  ご回復を   >
  <  御ケガの( なかま )の  ご回復を   >

           今朝はゆっくり、失礼いたします。

6月29日(土)  素庵さま  <8>

       愚僧は、素庵さまに、私たち人間の理想の
     ありかたを、見ているのかもしれません。
    裕福なお家の子供という意味ではございません。( 笑 )

     < たくましく生きる >
     < よく 生きる   >
     の、バランスがとれている、という事です。

     < たくましく生きる >事に疲れたり、
     <  よく  生きる>事にあきたりしたら、

     <  ただ  生きる >事も、
     大切・重要に、なってきます。
     忘れては、ならない事柄です。

     いつの時代も、
     おそらく、どのような社会でも、
    < 子供の  養育  >
    < 子供の  教育  >は、

     <  たくましく生きる  ><  よく 生きる  >を、
     一所懸命に、教えている事でしょう。
     社会・集団の、つとめ・役割・義務の、
     重要な要素でしょう。

    でも、<  ただ  生きる  >を忘れて、
    社会・集団そして、家庭も個人も、
    「 奇妙 」 になってしまう事がございます。

   <  もとめすぎる  >という事です。
   「 外 ( そと ) 」にも、
   「 内 ( うち ) 」にも、
   ( 自分 )に対しても、
   ( 自分以外 )に対しても、でございます。

     <  もとめない  >という事の、
   意味・価値・( 役割 )を、忘れてはいけませんね。
   < たくましく >< よく >生き抜くためにもで、
   ございます。
      この、「 矛盾 」「 葛藤 」を
    < 忍耐 >・< 超越 >・< 突破 >する事こそ、
  私たち人間の<  心の仕事  >といえる気がします。

    さて、長くなりましたが、
  この問題・< 心の仕事 >を、
 どのように、  素庵さまは、成し遂げられたのでしょうか。
   気になるところでございます。
   今のところ、よくわかっていない。

   でも、< 心の仕事 >なさられてられることは確かです。

< ただ  生きる  >の根本・極地である、
    「  長生  」  仙人の道
    「  無生  」  解脱の道
    に関する書物の
    貸し借りを、なさっていらっしゃるでは、ございませんか。
       このことを知りました愚僧は、
       天にも昇る、気持ちでした。
           やはり、、、、、、、。

                        つづく

     駄弁ながら、敬意をこめて       残月   合掌

<   どのようなときでも   しあわせを
        かんじきれます   ように    >

<  御病気・御ケガの( なかま )の
          お早い   ご回復を     >

       走りながら失礼いたします。

6月28日(金)  素庵さま  <8>

     素庵さまは、以前<  三蘇庵   さんそあん  >という
  名前だったとか、ある本で読んだ気がいたします。

     三回死にかけて、三回蘇生( そせい )( 生き返った )
  と、言う事のようです。   このような体験をなさるぐらい、
  危険な、あぶない仕事もなさられていらしたようです。

   「  川を、知る者は、 山を知る者  」

    川の源流は、山である。
    川をよく見て、知ることで、源( みなもと )の山の成り立ちが、
    分かるそうです。

   人間と社会に、必要な大切な「 鉱石 」を、探す仕事も
   なさっています。  険しい山の中を歩き回られた事でしょう。

   山中からの、「 大木 」の切り出しもなさられています。
   愚僧も、嵐山で体験いたしましたが、一瞬も気が抜けない
   仕事です。

   山梨県の山奥に<  吉沢( よしざわ )の滝  >が、
   あるという事を、了以直孫の方に教えていただきました。
   本当の名前は、
   <  与一( よいち )さま の 滝 >だそうです。
    素庵さまの、本名は「 与一 」ですから、
    まさに、この山奥にまで、その足跡が後世に伝わるほど、
    ご活躍なさられたようです。

      ( 正しい、文字に変えなくてなりませんね。
          このことも、私たち人間のよくなす< まちがい >
          ですね。   注意・反省。  )

  以上は、 昨日の ( つづき ) でした。( 笑 )

     その主旨は、 <  よく生きる  >ためには、
    そのことを支える、  <  たくましく生きる  >という事が、
    大切だ、必要であるという事です。

         理屈でない<  生命力  >です。
         川を、さかのぼって行く < 力 >です。
         樹齢三〇〇年の大木に対峙する < 心 >です。

      私たちは、時には、山に入り、
    <  生命力 >・この< 力 >・この< 心 >を、
     何回でも、蘇生( そせい )( 生き返らせる )させなければ
     ならないと存じます。

      駄弁ですが、敬意をこめて        残月    合掌

  <   どのようなときでも
          しあわせを  かんじとれますように   >

  <   御病気・御ケガの( なかま )の
          一日でも早い    ご回復を       >

            走りながら、失礼いたします。

     

6月27日(木)  素庵さま <6>

       素庵さまは、江戸時代の初め、
    日本に、儒学・儒教を、伝え広めた方々の一人です。

      仏教もすばらしですが、儒教もすばらしい、
    どなたも、学ばなければ、ならない事の一つです。

      「 学ぶ 」といえば、
    いつの時代でも、
    中国大陸でも・朝鮮半島でも・日本列島でも、
    おそらく、現代でも、
    おそらく、世界中でも、

  < 立身  出世  ( りっしん  しゅつせ  ) >のためでしょう。
おそらく、たぶん、おおかた、
   それは、おそらく、私たち人間として当然な事と存じます。

    でも、その過程から、時々、

   大人物としか、
   奇人としてか( 笑 )、
   変人としてか( 笑 )、
   100年に一人の人物としてか( 笑 )、
   体制・秩序破壊者としてか( 笑 )、
   隠者としてか( 笑 )、
   遁世者としてか( 笑 )、
   ひねくれ者としてか( 笑 )、
   革命家としてか( 笑 )、
   落ちこぼれとしてか( 笑 )、
   、、、、、、、、

  色々な面白い人物がでてきます。

   「 学ぶ 」 ために 「 学ぶ 」人々です。
 他の人、世の中の  < 評価 >から、
別な次元で、生きています。 おもしろい。

   失敗もしやすい、
   間違いも犯しやすい、
   怠惰・怠慢・なまけの世界に入りやすい、
   独善の世界になりやすい、
   一人よがりの世界になりやすい、
  、、、、、、、、、

   でも、こんな人々が多い社会を、
  < 豊かな 社会  >と いえるかも しれません。

   とにかく、

『  いい人間に、なるために、
     いい社会を、つくるために、 学ぼう    』 
   
          では、 ございませんか。

   この気持ちを、しっかり持つ事です。
  覚悟を、決めることです。

 <  よりよい人間  ・   よりよい社会・    よりよい世界   >を、

     もとめる、希望した、人物として
    「  素庵さま  」を、 とらえたく存じます。

   駄弁ながら、覚悟を新たにして
                         残月    合掌

  <  どんなときでも   しあわせを
         感じきれます  ように    >

  <  清き光が  悲しみ  苦しみ  多い
         この世の中へ
              満ち満ち溢れ
                  ますように   >

  <  御病気の( なかま )の  ご回復を  >
  <  御ケガの( なかま )の  ご回復を  >

        小走りにて   失礼いたします。

6月26日(水)  素庵さま  <5>

       素庵さまの木碑・行状を読む。

     「 鶴林 玉露( かくりん ぎょくろ ) 」( 中国の書物 )
       を談じ、< 理 >と< 心 >と通ずればすなわち、
       節をうち歎賞す。

       若き日、
     < 聖人の道 >とは何か?と、
      寝ても覚めても
       苦悩する。

       先生いわく、
      「 心を正しうするの外(ほか)、別に余法なし 」。

       御最後の日々、
      最後の最後まで、
      若き日の師匠の教えを守り、
       儒学の根本である
      <  正心 >を、追究なさられている事、
         つまり、
      <  理  ( り )( 真理 )( 正しさ ) >と
      <  心  ( こころ )( 自分 )( 我 ) >を、
         通ずる事( 一つに成る事 )を、
         体全体で、賞賛・歓喜されている事の
            なんという、すばらしさ、でしょうか。

         『 老苦 ( ろうく )( 老いていく苦しみ ) 』
         『 病苦 ( びょうく )( 病気の苦しみ ) 』
           の中においてで、
             ございます。

            せまりくる『 死 』を感じながら、
               < 苦しみ >の中で、
               < 正心 >をもとめ続けられたという、
                      すばらしさ、
                      精神の強さを、

             一求道者として、感嘆せざるおえません。

           後世の私たちも、学ぼうではございませんか。
             社会的にいくらご活躍なさられても、
          「 老 」 「 病 」 「 死 」は、さけられないのですから。

     敬意と愛をこめて         残月    合掌

   < どんなときでも   しあわせで   ございますように  >

                 失礼いたします。

      

6月25日(火)  素庵さま  <4>

     おはようございます。
  今週で、今年も半分おわりでございます。
  本当に、月・日がたつのは、早いですね。
こんな、感じで人生も、終わってしまうのでしょうね。
   「  ご用心 ・  ご用心  」です。

   人生の最後の日が、
  今日かも知れない、
  明日かもしれない、
   「  ご用心  」です。

  何を、用心するのか?
  どういう事なのか?

    人生の最後の日と、
   「 自覚( じかく ) 」できるか、どうか?
   「  これから < 死ぬ >ぞ  」と思えるか、どうか?

 < わけがわからぬ中(うち)に、この世に、生まれくる >
  そして、
 < わけがわからぬ中(うち)に、この世から、死んでいく >
  だけなのか?

     色々な<  死  >がございます。
   <  自殺  >
   <  他殺  >
   <  病死  >
   <  事故死 >
       ・
       ・
       ・
       ・
     自分が、どのような< 死  >に、なるのか?
          どのような< 死 >を、むかえるのか?
          どのような< 死 >に、であうのか?
          どのような< 死 >を、よぶのだろうか?

       なかなか、わからない。
     他人まかせ、
     なりゆき次第、
     運命 宿命さ、
     自分の思いどうりに、なるわけない

        以前のブログ、
   「 言葉から 」、 「 <  旅人  >は死なない  」で、
   ごいっしょに考えましたね。
   <  死  >の問題は、人間の根本なので、
    何度でも、考えたく存じます。

      了以翁・素庵様の時代
    つまり、
      信長公・秀吉公・家康公の同時代に生き抜いた、

     ある武将< 軍師 >は、
    「  何月何日、午前8時に死ぬ  」といい、
      そのように、した、なったという。

    「  あっぱれ、すごい、  
      かくのごとく、なりたい。」( 愚僧 )( 笑 )
       午前8時 ( かの武将の、生まれた時間のような・・ )

  皆さん、何時が、いいのでしょうか? ( バカな事、いうな。)(おしかり)
                         ( お許しくださいませ )
       午前8時
     「  なるほど、さすが、天下一の軍師  」( 愚僧 )
       現代では、午前九時?

       素庵様の最後の日々を、語らせていただくつもりが、
    このように、なってしまいました。 明日に、いたしたく存じます。

       駄弁です、されど、されど、愛をこめて。
                   残月     合掌

   <  しあわせな  一日で  ございますように   >
   <  清き光が  この世に  溢れますように  >
   <  悲しさ  苦しみ  辛さ が
             すこしでも   へりますように   >

   <  御病気の( なかま )の   御回復を  >
   <  御ケガの( なかま )の   御回復を   >

          小走りで   失礼いたします。