25-天神さま

     京都・北野は、毎月25日沢山の人々が集まります。天満宮の縁日です。  平安時代には安嘉(あんか)門が、近くにありました。そこは物資の集積地であり、その当時から、内外の人・もの・お金が集まり、また散じていったようです。  故に、芸能・文化・悪事・学問なども発生したのでしょう。  森・林泉・小川も残っており、現代とは違った景観だったようです。
     ともかく、数百年また千年ちかく継続されている事柄は、注目に値し研究に値するようなきがします。  いつも変わらない価値が、表われているのではないでしょうか。   三代百年こえてこそ、個人の癖を超え、確かな物事が生みだされて行くのかなと思います。  ある昆虫好きが、昆虫学を家元制にしたいと、冗談でいってましたが、一代でできる事の限界を実感してのことなのでしょう。
     日本・平安城の中には、今までに世代を超えてきた物事が、数多く残っています。  そして、今日もまた、これから世代を超えて、受け継がれていく物事が、生まれている事でしょう。  愚僧も、また、非徳非学非力ながら、天神さまの御加護を念じつつ、身と心を尽くして行きたく存じます。       よろしくお願い申し上げます。  みなさま・天神さま。
                                                   道忠  合掌

快晴

    ありがたい。今日は、天気がよく青空が美しい。  美しいもの・ことを、美しいと言葉にできる、ありがたさよ、申し訳なさよ。  今この時にも、苦しみ・悲しんでいる人々、数多くいらっしやることでしょう。  
    少しでも役に立ちたいものです。 とはもうせ、あそこの掃除・そこの草とり・水の出が悪い・セメントがはげてる・木が腐っている・返事を数年もしてない・傾きがひどくなつた・copyが足らない・と日常に振り回されている。  反省・反省・大反省。 
                                  道忠  合掌

6?23

   こんにちわ。 やはり、夏は来るみたいです。 50才すぎているのに、春のつぎは夏だと信じていないというか、思いこんでいないというか、冬ということもありうると、馬鹿みたいに思っているような気がします。
  パソコンに、これまで、なかなか集中できなかった、一つ原因は電気そのものを信じていないからだった気がします。 現代社会に生活させてもらいながら、生かされながら、おかしなことです。反省、反省。
  大悲閣は湿気とのたたかいです。全ては、水と大地に帰るとはいえ、簡単には帰せないものは多い、それが文化・価値・真理・・・・。本一冊・柱一本・・・・・・。    
                                    道忠  合掌 

6-22 素庵忌

本日、了以翁の息子・素庵様の命日です。 翁の片腕である、実業家・実務家であります。また儒学者・芸術家あります。  塵劫記(じんごうき)の如き、最大・最小を含みまた、当時の角倉家が仏教に、超宗派的対応なさられている様子が、まさに素庵様の世界観・心を、示しているように感じられます。
        
       病に苦しまれながらも、正しい心をもとめ続けられたといいます。  学ぶべき事多い方でございます。  嵐山心学の祖と位置ずけられるかもしれない。   愚僧は、数千年の人間の歴史のよきものを、さがし伝えていける山寺に、為していきたいと思っています。   客殿のプリント類が、その気持ちの表れです。  わたしにとって日々の喜びは、プリントがどんどん減っていくことです。  いずれ各プリントの拙い解説の講座を設けたいと思っています。   駄弁を弄しました。 失礼しました。
                                  道忠  合掌

2-21

おおはようございます。木曜日に取材があり、金曜日にパソコンを教えていただき、土・日に法事があり、月曜日になってしまいました。   恥ずかしながら、まだ嵐山大悲閣にはインタネットがつながってません。物理的問題が多すぎて、ある会社が不可能との決定に2カ月もかかったりしました。 今週はadslをつなぎます。   すると、もっともっとペンをもてると思います。  

  6月22日は、了以翁の子息、素庵様のご命日です。379回忌です。  昨日、嵯峨念仏寺竹林内の墓所において、法要いたしました。  そろばん館の久下一族の皆様のご尽力のたまものです。有難い事にございます。     電話が3本ありました。   本日はこれにて、失礼いたします。

                                        道忠 合掌

2-16

大悲閣は、山から水を引いています。 側に滝が二つあります。 ありがたい事に、そこから水を引くことでき不自由しません。  まさに龍神の御子の如き了以翁が、選べし場所である。  大切に守っていきたい。
    嵐山にとっても、京都にとっても、日本にとっても、世界にとっても、 
  大切だなと実感しています。  そのために、どのように、為して行ったらよいのでしょうか? 
    ご意見・ご忠告、よろしくお願い申し上げます。
                                 道忠  合掌
  p.s.  大雨の後の、水の濁りについて語りたかった小生でした。

10-2-15

 昨日は、送信がうまくいかなかつた。おかげで、2回も挑戦してしまい、(渓声)を2種類になつてしまった。
どちらが、読んでくださったにとって、分かり易いのであろうか。はなから、分かりにくいかもしれない、反省。 
30年近く、人間とは何か、いかに生きるべきか、追究してきた。この15年は、大悲閣とともにであります。ありがたい、多くの人びとの、ご理解とご協力のたまものです。 少しは、みなさまに御伝えることができるかもしれない。   とにかく、真理は語り尽くされていると思います。ただ実践あるのみと思い、全力を尽くして参りましたが、はずかしかぎりです。      ともに、おたがいにという、実践の道があると、きずました、遅すぎでしょうか。  よろしくお願い申し上げます。          道忠  合掌

渓声(けいせい)

  雨上がりの、嵐山は美しい。渓(たに)を流れる水音は、私の全てを奪う。
小さな身心は、からっぽになる。 そして、喜びに満ち溢れる。 なんという有難さ。
      
      この喜びを、多くの人へ。

渓声(けいせい)

雨上がりの、嵐山はすばらしい。渓(たに)を、流れる水音に、私は全てを奪われる。
求道者として当然ですが、外に向かって何も、求めることがなくなってくる。
  大自然のありがたさよ。全てに向かって、感謝の念を捧げます。 ありがとうございます。

 この喜びを、あなたにも。 
 この喜びを、彼にも・彼女にも。

2-13

雨になるという。昨日の仕事は、無事おわりました。肉体を使う事は、すばらしい。助けてもらう。大悲閣は、ほんとうに多くの人ひとに助けていただいている。ありがたい。
  y居士は、昨年から尽力していただいている。 損得をこえて生きていく、これを、寺院の世界と考えたい。 400年間、居士・大姉の多く方々によって守られてきたことでしょう。 拙僧は忘れてはならない。 よい山寺をきずきたい。  皆様、助けていただきたい、協力していただきたい、ともに重きものを運び上げようではありませんか。  精神的な重さのものも、当然、あります。
  そして、命と心の原点に立ち、この悲しみ・苦しみに満ちた世において、さわやかに、共に、生きぬきませんか。