TEACHING OF BUDDHA ( 46-7 )

『  THE  WORLD ,  INDEED  ,

IS   LIKE   A   DREAM   AND

THE  TREASURES  OF  THE  WORLD

ARE   AN   ALLURING   MIRAGE  .

、、、、、、、、、、、、、、

この世は、まことに、

《 夢 》のような 物事人であり、

この世の

《 富・財宝・資産 ・・ 》は、

心惹きつけられる

魅惑的な

蜃気楼( しんきろう )の

ような ものである。

,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,

LIKE   THE   APPARENT   DISTANCES

IN   A  PICTURE  ,

THINGS    HAVE   NO   REALITY

IN   THEMSELVES

BUT   ARE   LIKE   HEAT   HAZE   』

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それは、

絵画の中の世界の

ようなものであり、

外見の 遠近も、

現実の 物事人ではなくて、

かげろう( 陽炎 )の

ような ものである。  』

( 仏教聖典からの

引用です、駄駄日本語

・解釈、嵐山 残月  )

、、、、、、、、、、、、

この世が

さも 善くないように

語っている、

でも、

ほんとは、

ありがたく、すばらしい

この世で も ございます。

ああ、世界を見れば

『 この世は 地獄である 、

苦しみと 悲しみしか

ありは しない 』と

泣き、叫んでいる

わたしたち 人間は

たくさん たんさん

いる。( らしい、新聞・・ )

、、、、、、、、、、

いったい

仏陀は 何を 語っているのか ?

この世( 世界・歴史的現実 )は

よりよくなって いるし

よりよく していかなくては

ならない。

なにが、

《 夢 》だ

《 蜃気楼 》だ

《 陽炎 》だ、と

いうのだろう。

、、、、、、、

先人・先祖・古人・・の

努力・正心誠意・慈愛・・・の

積み重なりでは ないか ?

真理をもとめ続けた 学問

科学の成果では ないか ?

、、、、、、、、

なぜ、

何ゆえに、

《 夢 》( ゆめ )

《 蜃気楼 》( しんきろう )

《 陽炎 》( かげろう )

《 幻 》( まぼろし )

《 泡 》( あわ )

《 影 》( かげ )と

いうのであろうか ?

、、、、、、、、、、、、、

この世のために

尽くすのは いいが

あまり

こだわるな

こだわり すぎると

苦しみ・悲しみが より

多くなるぞ、という

ことなの でしょうか ?

、、、、、、、、、、、、、

わたしたち 人間は

いい人間に なること、と

いい社会・環境・世界を

つくる ことが、

《 本来 》( ほんらい )

《 本当 》( ほんとう )の

目的である。

、、、、、、、、、、、、、

しかし、

わたしたちは、

本筋から ずれて いく。( 爆笑 )

( 笑えない 、わらえない )

( はんせい、反省、大反省なり )

、、、、、、、、、、

夢幻( ゆめまぼろし )の

< わたし >が

< 自分 >が、

夢幻( ゆめまぼろし )の

< この世 >を

< 現実 >を

< 歴史的社会 >を

愛せるの だろうか ?

、、、、、、、、、、、

( 爆笑 )

愛せる のである。

、、、、、、、、、、、

なぜ ?

、、、、、、、、

語りすぎ ( バ―カ )

つかれました ( 微笑 )

また

つづき ます

、、、、、、、、、、、、

< 夢幻 >なる

ある< 夢幻 >をが

< 夢幻 >をば

愛し 守るは

< 夢幻 >の花よ。

爆笑

、、、、、、、、、、、、、、、

鹿の  侵入

「  しまった  」

、、、、、、、、、、、、、

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