TEACHING OF BUDDHA ( 46- 4 )

『 TO   ADHERE TO

A  THING   BECAUSE   OF

ITS   FORM   IS   THE   SOURCE

OF   DELUSION   .

、、、、、、、、、、、、、

ものごと( 物・人・事・・ )の

< 形・形状・姿・相・状態・形式 >に

こだわり・ふっつき・離れきれず・

< 執着すること >が、

、、、、、、、、、、、、

< 妄想・幻想・思い違い・

勘違い・惑い・迷い(まよい)>を

生み出す、

根源( こんげん )・

元( もと )・

原因( げんいん )で ある。

,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,

IF   THE    FORM   IS

NOT  GRASPED   AND   ADHERED TO  ,

THIS   FALSE  IMAGINATION

AND   ABSURD   DELUSION

WILL   NOT   OCCUR  .

、、、、、、、、、、、、

もし、

かたち・形式 などに

こだわらないで、

< ものごと >を

強く握りしめず、

固執( こしゅう )しなければ、

、、、、、、、、

( 私たちを、

悲しませ、苦しめる )

< まちがった 想像 >や

< ばかげた 妄想 >が

、、、、、、、、、、

生じ 起こる ことは

ないでしょう。

,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,

ENLIGHTENMENT   IS

SEEING   THIS   TRUTH   AND

BEING   FREE   FROM

SUCH   A   FOOLISH

DELUSION  .

、、、、、、、、、、

< さとり >は、

< 理想の 精神状態 >は、

< 安心・安定の 心 >は、

< 苦しみ・悲しみを

持てども

味会えども

振り回されない 心 >は、

< 光(LIGHT)を 感受して

軽快 ( LIGHT )な 心地 >は、

、、、、、、、、、、、

《 有に あらず

無に あらず

生ずること なく

滅すること ない 》と,

いう・見る・考える、

、、、、、、、、、、、、、

< ものこと >の

《 事実・真理・真実・真相 》を

《 道理 ( どうり ) 》を

いつも 、理解し 観ている 、

、、、、、、、、、、

また、

だから、

、、、、、、、、、、、

さきほどの ような

< ものごと( 物事理人・・) >に

こだわるような、

、、、、、、、、、、、、、

( どうせ、

いかように、

こだわっても、

全ての事柄は

永遠に こだわることは

できない のだから )

、、、、、、、、、、

( 自分も、自分以外の 全ても、

変化し、永遠ではない、

の だから )

、、、、、、、、、、、、、

< バカげた 妄想・幻想 >から

「《 自由 》で いる 」

ので ある。  』

、、、、、、、、、、、、、、

( 仏教聖典からの 引用です、

駄駄日本語・解釈、嵐山残月 )

、、、、、、、、、、、

・ ところで、

『 バカ げた、

妄想・幻想 』とは、

何なの でしょうか ?

何なんだ でしょう、

今、忘れているぞ、 爆笑

・ 永遠 を

外に 求める ことか ?

・ 何かを 求める こと、

自体が 、

バカな 妄想・幻想

なのか ?

、、、、、、、、、、、、、

・ 愛・慈悲・共感・・・

なども

あるでは

ないか ?

・ 《 光明 ・こうみょう 》

とは、 何か ?

あるのか ?

あるさ 。

( 爆笑 )

、、、、、、、、、、、

・ 証明 せよ

( 微笑 )

はい

、、、、、、、、、、、、

つづき ます

,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です