[ THE TEACHING OF BUDDHA ]
< BUDDHA — NATURE > NO , 12
< 仏( 解ける< ほどける > 身と心 ) の 種( 方法 ) >
『 REVIEW ( 復習 ふくしゅう ) 』
「 FUNDAMENTALLY , EVERYONE HAS A PURE CLEAN
MIND , BUT IT IS USUALLY COVERED BY THE DEFILEMENT
AND DUST OF WORLDLY DESIRES WHICH HAVE ARISEN
FROM ONE,S CIRCUMSTANCES .
THIS DEFILED MIND IS NOT OF THE ESSENCE OF
ONE,S NATURE , SOMETHING HAS BEEN ADDED ,
LIKE AN INTRUDER OR EVEN A GUEST IN A HOME ,
BUT NOT ITS HOST .
すべての人びとには 、 清浄( しょうじょう )の本心が ある 。
それが 、外の因縁( いんえん ・ 直接間接の 原因 ) によって
生じる < 迷い >の< チリ 塵 ちり >に おおわれている 。
しかし 、
あくまでも 、 < 迷いの 心 > は 、従 であって ≪ 主人 ≫
では ない 。
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THE MOON IS OFTEN HIDDEN BY CLOUDS ,
BUT IT IS NOT MOVED BY THEM AND ITS PURITY
REMAINS UNTARNISHED .
THEREFORE , PEOPLE MUST NOT BE DELUDED INTO
THINKING THAT THIS DEFILED MIND IS THEIR OWN
TRUE MIND .
月は しばらく 雲に おおわれても 、
雲に よごされることもなく 、 また 動かされることも ない 。
だから 、人びとは
< 浮動 する > < ちり ( 塵 ) >のような
< 迷い の 心 > を 、
自分の ≪ 本心 ( ほんしん ) ≫ と
思っては ならない 。
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THE DISTURBANCES AND DEFILE MENTS OF THE
HUMAN MIND ARE AROUSED BY GREED AS WELL AS
BY ITS REACTIONS TO THE CHANGING CIRCUMSTANCES .
THE MIND THAT IS NOT DISTURBED BY THINGS
AS THEY OCCUR , THAT REMAINS PURE AND TRANQUIL
UNDER ALL CIRCUMSTANCES , IS THE TRUE MIND
AND SHOULD BE THE MASTER .
人の心の
< 迷い ( まよい ) >や < 汚れ ( よごれ ) >は
< 欲望 ( よくぼう ) > と < 変化する 外界 ( の 縁 ) >に
ふれて せっして 関係して 、 生じ起こる < もの >である 。
この < 縁 ( えん )( 外界・環境 ・ 状況 ・境遇 ・諸関係 ) >の
< 来ること ・ 去ること >( 去来 )に 、
関係無く ( まさに < 不来 不去 > そして < 不増不減 > ・・ )
永久 ( えいきゅう ) に
≪ 動かず ・ 滅びない 心 ≫ が < 本当 の 心 >であり 、
≪ 主人 ≫ である 。
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・ 環境 に 、支配されない
環境 から 独立した
本当 の 自分 の 主人公 ( 自分 )である 。
すると 、ほんとうに 慈悲深く
やさしい 人 に、 自然に なるものである 。
真の 仏教が めざすもので ある 。
・ 本日は 『 敬老 の 日 』 です 。
僭越ながら 、< 御祝い > に 、
仏教から 見た場合の 、 「 人生の 目的 」 を
お伝え させて いただきました 。
ご年配の お方も 、読んでくださっているような
気がいたしますので 、あえて、 再引用 させて
いただきました 。
『 本心 を つかむのが 人生 の 目的である 』
家庭生活・ 学校生活・職業生活 ・社会生活
を しながら < 本心 >を < 自覚 >するのが
一番しあわせです 。
( 解脱 げだつ ・ 因縁解脱 ・ 自由 )
( 菩提 ぼだい ・ 無我 無心 )
( 慈悲 じひ ・ 愛し 愛され )
・ 長生 ( ながいき ) よきかな
無生 ( 命 の
長短 を こえる心 の自覚 )
さらに 、よきかな 。
・ < さとり >を
おもとめ ください 。
希望であり 、歓喜で ございます 。
若輩 ものが、 失礼いたしました 。
( 来年 愚僧も 60歳 、大笑い )
( バカ いうな、 )
( 妄想するなかれ 。 ) 大笑い
・ 古人 曰く
「 30歳 から 60歳まで
30年間 修行学問する 。
60歳 から 90歳まで
30年間 教え伝えて報恩せよ 。
それから、余生よ 。
ただ、 遊べ 。 」
すみません、 良慶 上人 。
恩師 は 100歳 こえられても
御修行・ 御布教 三昧で あられました 。
バカな こと 申しました 。
おゆるし くださいませ 。
( 打棒 )
駄弁 饒舌 、 蛇足 多謝
敬と 愛と ともに
残月 合掌
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ようこそ、ようこそ 。 ( 岐阜より )
若者 二人 、 般若( はんにゃ )の 心 を 伝える 。
( 1 、 2 、 0 、 そして 無限 ∞ 、3 から 100 の 世界 )で
強く 生きこと 。 ( 微笑 )
「 京都らしい 食事 ? 」 「 豆腐 かな ? 」 ( 大笑 )
ありがとう ございました 。 合掌
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見返り 美犬 ( 大笑 ) ( ごめん ) ( 微笑 )
失礼いたします
末筆ながら よき一日で ございますように
・ 祝 「 80歳以上 、初 1000万人超えました 」 合掌
厚顔 無恥
愚僧 萬拝