PICTURE 1-31-2015

  [     DECEMBER      EIGHTH       12  /   8     ]     NO  ,    27

「  OUR    TRUE    BODY    AND    MIND  ,   WHICH    MAKE    UP
     AN    INDIVIDUAL    LIFE   ,    AND   THE    EXTERNAL    WORLD
     SURROUNDING    IT   ,    ARE   FAR    APART    FROM     BOTH   THE
     CONCEPTIONS     OF   <    ME   >   AND   <    MINE   >  .

       だから、
 この自分を 組み立てている < 身体 > と < 心 >や
 それを「 とりまくもの 」は、
 <  我( が ) >とか  <  我がもの  >という、
 < 考え >< ことば >
 ( 観念・概念・言葉・着想・発想 ) から、
 「 はなれた もの 」 である 。

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

  ( 註解 、 言葉だけでは わかりにくいです 。
     そこで、 ここで、 辛抱です 、忍耐です、
             わかりにくくても、
     「 あせらない 」 ことです 。
     「 あきらめない 」 ことです 。

     自分の < 身体 >< 心 >だけでなく
     どなたの < 身体 >< 心 >なのでございます。

     すると、どうなる のでしょうか ?
     「 やさしく 」 なります
     「 つよく 」 なります 。

     なぜ ?
 
     体験して いくことが 大切です 、とても )

 、、、、、、、、、、、、、、、、、、

    IT   IS    SIMPLY    THE   MIND    CLOUDED    OVER    BY
        IMPURE    DESIRES   ,    AND    IMPERVIOUS    TO    WISDOM   ,
        THAT    OBSTINATELY    PERSISTS    IN    THINKING    OF
         <    ME   >   AND   <    MINE  >   .

           [   智慧の 無い <  こころ  > ]
         つまり 、「 純粋でない 欲望・願望 」 に おおわれた < こころ >、
    が、 < 我 である >< 我がもの >であると 、
    こだわっている ( 固執 こしゅう ・ 執着 しゅうちゃく )に
    すぎない 。

    ( 註解、 「 純粋 」 でない 欲望・願望 とは
           いったい どういうこと なのでしょうか ?
           また、 ゆっくり 考えたいもので ございます。 )

  、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

     SINCE    BOTH   THE    BODY    AND   ITS    SURROUNDINGS
          ARE    ORIGINATED    BY    COOPERATING    CAUSES    AND  
          CONDITIONS ,    THEY    ARE    CONTINUALLY    CHANGING   AND
          NEVER    CAN   COME   TO   AN    END   .

               < 身体 > も < それをとりまくもの >も
   「 因縁 」( いんえん )に よって 生じたものであるから 、
    変わりに 変わって 、 しばらくも 止まることが ない 。   」

  (  THE    TEACHING    OF   BUDDHA    仏教聖典より 引用 )
     
      TO   BE   CONTINUED       つづき  ます

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

  006.JPG

        「    平成の 円空さま 」  御作   < 蔵王権現 >( ざおう ごんげん )
       EN  KUU  (    NO   EDO   ,    HEISEI   )    <   ZEOU   GONGEN  >
                                  30  cm   high  .
       

  008.JPG

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、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

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        増田 常徳 画伯  「 明暗 の 旅 」 画集
        MASUDA    JYOUTOKU    (   ARTIST   )

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

   GOOD     DAY
        GOOD     LUCK
             I      HEARTILY  &
nbsp;  PRAY

            APPRECIATION
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              MONK    OF    ARASHIYAMA
                  SEE     YOU

  
        

1月30日(金) 「 釈尊 ( しゃくそん ) 」 その10

  「  止観  」( しかん )です。
ともに、お互いに 進めていきたいと
存じます。

 音楽を 聞きながら
おたたかな コーヒ・紅茶を
飲みながら、雑誌をめくりながら
「 世界 」 を < 観る >
でなく、、、、

 そうです、
< 静かな 一人きりに
 なれる 環境・場所 >を
 みつけることは
 むずかしい。

  「 工夫 」( くふう )です。
 「 模索 」( もさく )です。
 「 試行錯誤 」( しこう さくご )です。
 「 執念 」( しゅう ねん )です 。
 「 あきらめない 」こと です 。

  もし、
 『 本当の 安心 』
 『 本当の よろこび 』
 『 うまれてきた、よろこび 』
 『 人生たいへんでも、
   困難・課題を
   にげず、
   いどめる よろこび 』
 『 天地に
   すべてに
   愛されていると
   いう 実感 』
 『 老・病・死に
   いえ、
   好き嫌い
   もうけ・そん、
   気持ちいい・気持ちわるい
   うつくしい・うつくしくない
   美味しい・美味しくない 
    ・・・・・・・などに

   感じても

   ふりまわされたくない、
   ひきずられたくない、

   < 自分 >  』 を

    えたい、ほしい 、と
   思い・願った 場合は

   あきらめず
   < 一心 >
   < 一命 >
   かける 気持ちが
   
   大切でございます。

  、、、、、、、、、、、、、、

   そのような
 「 願い 」「 悲願 」を
  わたしたち、現代人が
  もった場合、

    過去、数千年の
  歴史上の
   < 聖人 >
   < 賢者 >
   < 求道者 >

   < 菩薩 >
   < 祖師 >

  いえ
  歴史をこえた
   ≪ 神 ≫
   ≪ 仏 ≫が

   わたしたちを、
   かわいい「 人間 」を
    ( 微笑 )

   守ってくださいます。
   みちびいて くださいます。

   小生も
   愚僧ながら、
   「 一切( すべて ) 」からの
   おまもり・ みちびき を
   少少、感じる もので
   ございます。
     ( 大笑 )
     ( ほんとうか ? )
     ( ほんとうです )
     ( 微笑 )

   これから、ともに
   精進して いこうでは
   ございませんか 。
   

     つづき ます

 駄弁の 饒舌( おしゃべり )
   すみません
  されど 敬と愛を
    こめて

  残月  合掌

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

 013.JPG

       増田  常徳  画伯  (  月蝕  げっしょく )

      ・  2月から  先生の 「 作品 画集 」 ご覧んいただけます。
           貴重な書物ですので、 お寺のものに その旨
           お伝えください ませ。
             すぐに おもちいたします。 合掌

  、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

 004.JPG

     何 しているのでしょうか ?
    トム と ジェリー みたいに 、( 世代が 感じられます )
   「 いつも 、なかよく ケンカ しています 」 ( 微笑 )

   ・  ケンカ が つきものの、 われらが 世界。
    「 なかよく ケンカ 」 したい もので ございます。

     ・ ちがいを みとめて 共存、 すみわけ ?
     ・ 異常接近しない ( 大笑 )
     ・ 根本・原点・本質は 同じの < 大自覚 >
     ・ ケンカの 形式を つくるとか ? 

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

   失礼いたします
 末筆ながら
  よき一日で
   ございますように。

  不平・不満・不服 を 言う前に、
  一工夫・二工夫・三工夫を、、、

 厚顔  無恥
   愚僧  萬拝

 

  

PICTURE 1-29-2015

 
  [      DECEMBER      EIGHTH       12   /    8     ]     NO  ,   26

  「  IF    ONE    IS    ASKED   WHETHER    IMPERMANENT    EXISTENCE
       IS    HAPPINESS    OR    SUFFERING    ,    HE    WILL    GENERALLY
       HAVE    TO    ANSWER    ,   SUFFERING  ,

          無常( むじょう )( 変化しつづける ・ とまらない )なるものは、
  苦しみであるのか ?   楽しみであるのか ? と 問うならば 、
  生まれたものは、だれでも、
  やがて 「 老い 」 「 病み 」 「 死ぬ 」 と
  気づいたとき、
  だれでも、 苦しみであると 答えるに ちがいない 。

    ( 註 、 若く 元気で、病気も知らず、また 身近に 「 老 」「 病 」「 死 」
        に ふれなければ、 当然ながら 、「 無常 」を 感じることなく
        元気に、明るく楽しく 、人生を 邁進する ことでしょう 。
         すばらしき かな 、よきかな 。  )

       、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

    IF    A    MAN    BELIEVES    THAT    SUCH    AN    IMPERMANENT    THING ,
     SO     CHANGEABLE    AND   FILLED    WITH    SUFFERING   ,    IS     THE
     EGO–PERSONALITY  ,   IT   IS    A    SERIOUS    MISTAKE  .

    THE    HUMAN    MIND   IS    ALSO    IMPERMANENT    AND   SUFFERING  ,
     IT    HAS   NOTHING    THAT   CAN   BE   CALLED    AN   EGO–PERSONALITY .

          このように、 無常であって 移り変わり 、 苦しみであるものを 
  「 実体である 」 「 我がもの 」 と 思うのは まちがっている 。

    『 心 ( こころ ) 』も また 、
  そのように 、 無常であり 苦しみであり 、「 実体では ない 」 。

    ( 註 、  なかなか 「 苦しい 」とは、思えない わたしたち 。
        移りゆくこと、 変わりゆくことを 、楽しんだり
        望んだりするものでも ございます 。

        「 病気 」 「 老化 」 「 死亡 」 と 出会ったり、
        「 元気 」 「 明るさ 」 を うしないかけそうに
        なったり して、 悩み 考え 苦しみ、
        あたらしい、 別の < 考え >< 見方 >を
        さがす ような 気がいたします 。
          このような時、 この大切にしている
        『 身体 』 も 『 心( 気分 感情 思い ) 』も
        
        あまり、こだわる 必要はない、という
        < 考え >< 見方 >は
        ≪ すくい ≫ と なる 。

          当然ながら、
        「 無責任 」 という 意味では ございません。
        (  微笑  )。

          この 微妙な 点は、
         これから、 お互い 克服していきたく存じます。
                        つづき ます 。 )  」

  (   THE    TEACHING   OF   BUDDHA    仏教聖典から 引用  )
  (  註解、 残月  合掌  )

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

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 017.JPG

   THE   VISITOR     ARE      SEVEN    PERSONS     AT    THIS    TEMPLE
            TODAY     .     

 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

  004.JPG  

      [    KIBI   ]   =      A     GRAIN     ( 穀物 の 一つ )
               ( 五匹 の猫に 、五穀の名前を 付けました )
               ( きび ・ あわ ・ むぎ ・ まめ ・ こめ )

     006.JPG 

             [    SUMIRE   ]   =     A    VIOLET

    005.JPG

        [    KURO   MATU   ]   =     A   BLACK    PINE    TREE

             WHAT    ?      WHY   ?
         
          (    SMILE   )

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

 023.JPG

        GOOD     EVENING

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

    GOOD     DAY
           GOOD     LUCK
                 I     HEARTILY     PRAY

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                    SEE     YOU   .

1月28日(水) 「 釈尊( しゃく そん ) 」 その9

  前回、
『 止観 ( しかん ) 』 という
言葉に ふれました。

1、 「 止まる 」 
2、   そして 「 観る 」

3、 何を 観るのか ?
   自分に 聞く・たずねる ( 微笑 )

4、 「 手 」 を 観る

5、  ・・・・・・・・・・・・・

6、  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  とにかる 「 とまる 」
  とにかく  「 たちどまる 」

  あせらない
  じぶんを しんじる
  かみを おもう
  ほとけを おもう

  あせらせる
  はやくせよ
  はやく はやく

  おくれるよ
  はなれるよ

  くるしむぞ
  そんするぞ
  だめになるぞ

  とにかく 「 とまる 」
  とにかく 「 たちどまる 」

  くるしんで いい
  そんして いい
  だめになって いい

  じぶんを おもう
  かみを しんじる
  ほとけを しんじる

  そうだ
  しんりだ
  真理 を みる

  いつでも
  だれにでも
  どんなじょうきょうでも
  「 ただしい 」ものを

  これだ
  これを
  つかみたい

  ときにより
  ひとにより
  ばしょにより
  ころころ かわる
  じぶん 、こころ なんて
  いらない

     つづき  ます

  駄弁の饒舌
   されど 敬と愛を
    こめて

  残月  合掌

、、、、、、、、、、、、、、、、、、

 004.JPG

       桜 ( さくら ) で ございます

 005.JPG

      梅 ( うめ )で ございます

    「  梅桜  ともに色づく  よき日かな  」 ( ・ )

 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

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      ふゆなれど   ひかりをあびる   円空仏( えんくう ぶつ )

     ・  客殿の改修の時、
          平成の「 円空 」さま が出現し 、 古材でもって
            たくさんの 「 仏さま 」を うみだして いただきました 。 合掌

 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

   ・  吾 唯 足 知  ( われ ただ たる を しる )
         いい面  <  たのひとびとに  わけ あたえる ことできる  >
         わるい面  <  これで まんぞくせよ と 命令支配される >

   失礼いたします
 末筆ながら
  よき一日で ございますように。

 厚顔  無恥
  愚僧  萬拝

追伸、、「 誠実とは 何だろう ? 」
  日々、考えていたら、
  その 答えが わかったでなく
  「 誠実 」 そのものに
  なっちゃつた ( 大笑 )( 禅的修業 )( 微笑 )
     合掌 。。

PICTURE 1-27-2015

   [     DECEMBER      EIGHTH      12  /   8    ]     NO  ,    25

「  IF   THE   MIND    WERE    AN    EGO-PERSONALITY   ,    IT   COULD
     DO    THIS    AND   THAT    AS    IT    WOULD    DETERMINE  ,   BUT
     THE    MIND    OFTEN    FLIES    FROM     WHAT    IT    KNOWS     IS
      RIGHT    AND    CHASES    AFTER    EVIL   RELUCTANTLY   .

        STILL  ,   NOTHING    SEEMS    TO   HAPPEN    EXACTLY    AS  
      ITS    EGO    DESIRES   .

         もしも 、
   「 心( こころ ) 」 に
   実体( じつたい )( 表面の 形式 でなく 、内容・本体 の こと )が
   あるならば 、
   「 こうあって ほしい 」 、「 こうあって ほしくない 」 と思って
   そのとうりに できるはずである 。

    しかし、
   「 心 」 は 『 もとめていないのに 、悪を 思い 』
           『 願わないのに 、 善から 遠ざかる 』
   一つとして 『 自分の 思うようには ならない 』 。

  、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

    IF    ONE    ASKED    WHETHER    THE    BODY    AND    THE   MIND
       ARE    CONSTANT    OR    IMPERMANENT   ,    HE    WILL   BE   OBLIGED
        TO    ANSWER    [    IMPERMANENT   ]  .

          もし 、
  『  この 「 からだ 」( 身体 ) と
    この 「 こころ 」( 心 ) は、
     永遠に 変わらない ものなのか ? 』 と
    質問したならば、
    だれも
  『  「 変わるもの 」 「 常( つね )は 無い 」
     「 無常( むじょう )」 「 変化する 」 』 と
  答えるに ちがいない 。                   」

(  THE    TEACHING    OF    BUDDHA   ,     仏教聖典より 引用  )
(    TO    BE    CONTINUED     つづき ます  簡略化  残月  )

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

  003.JPG

        WHAT     IS     THAT    ?
                 THAT    IS      A      SMALL     WATERFALL    NEAR    THIS    TEMPLE  .

     009.JPG

                   THE     TULIP    TO    [    KAN   NON    BOSATU    ]

    017.JPG

                 [    KURO  MATU   ]     IS     YERY    FINE    .   
                             I     AM     HAPPY   .  (    SMILE   )

  、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

    GOOD    DAY
           GOOD    LUCK
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                    SEE     YOU    ,      ZANGETU 

1月26日(月)  酔鴻忌( すいこうき )

   
  昨日 25日は、
 作家 北森 鴻( こう )氏 の
 ご命日 でした 。

  ご縁ある
 嵐山 大悲閣 千光寺 にて
 五年目の 法要を 
 させて いただきました 。

  
  ご友人・ 兄上さま・出版関係者
 ファンの方方が たくさん
 御集りでございました 。

  若くして
 亡くなられたことが
 ただ、ただ、
 悔やまれて なりません 。

  愛読者の方々の
 悲しみは なんとも
 いいがたい ものでございます 。

  1月の下旬で
 一年で一番、人気( ひとけ )
 が ない時期に
 山寺が 一気に
 人々が 溢れるとは、、、
 なんという
 ことなのでしょうか ?

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 019.JPG

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

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    北森氏 の 作品が ご縁で 時々 手伝ってくださってます。
     「  今日 も ありがとうございました  」 ( 感謝 )( 合掌 )

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

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    しんどう くん へ

        酔鴻忌   渡月橋すら   静かなり  (  ・  )

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

  失礼いたします
 末筆ながら
 よき一日で ございますように。

  厚顔  無恥
   愚僧  萬拝

PICTURE 1-25-2015

  [    DECEMBER      EIGHTH       12  /  8    ]       NO   ,    24

 「  IF   THE   BODY    WERE     AN   EGO–PERSONALITY  ,   IT   COULD
     THIS    AND    THAT    AS    IT    WOULD    DETERMINE  .

        A    KING    HAS   THE   POWER    TO    PRAISE    OR   PUNISH   AS
     HE   WISHES ,   BUT   HE   BECOMES    ILL    DESPITE    HIS   INTENT
     OR    DESIRE ,   HE    COMES   TO   OLD   AGE    UNWILLINGLY  ,  AND
     FORTUNE    AND   HIS    WISHES    OFTEN    HAVE    LITTLE   TO   DO
     WITH    EACH    OTHER   .

        もしも 、この身体に
  実体が あるならば 、
  「 わが身体は かくあれ。 かくあることなかれ 。」 と思って、
  その「 思い 」の ままに なし得るはずである 。

   王様は  その国において、
  罰すべきは 罰し 、 賞すべきは 賞し 、
  自分の 「 思い 」 とうりに することが できる。
   しかし 、 願わないのに病み
  望まないのに 老い、
  わが「 身体 」( からだ )については 、
  「 思う 」 ように なるものは ない  。

 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

  NEITHER    IS   THE   MIND    THE     EGO–PERSONALITY  .
   THE    HUMAN     MIND    IS     AN    AGGREGATE    OF   CAUSES    AND
   CONDITIONS .   IT   IS   IN    CONSTANT    CHANGE  .

       それと 同じく
  この 「 心( こころ ) 」 にも また < 実体 >はない 。
  心 もまた  「 因縁 」 の 集まり であり 、
  常に うつり変わる< 無常 >の もので ある 。   」

( THE    TEACHING    OF   BUDDHA    ,    仏教聖典より 引用  )

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

  009.JPG

  

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    THIS CAMELLIA    HAS   TWO    BUDS  .  

                小生の ふるさと( 五島列島 )は、 椿( つばき ・ カメリア )が 名産です。
        数年後、五島市で 椿に関する 国際イベントが 開催されるそうです。

 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

   GOOD    DAY
        GOOD    LUCK
               I     HEARTILY     PRAY   .

           APPRECIATION
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1月24日(土) 「 釈尊( しゃくそん ) 」 その8

 「 < 欲望 >中心 」 でなく
 「 < 禁欲 >中心 」 でもなく、

 「 中間 」 に 、ブラブラ
 するの でしょうか ?

・ 「 なりゆき まかせ 」
  しかないのか ?

・ 「 刺激( しげき ) と 反応( はんのう ) 」
  だけ なのか ?

・ 「 緊張( きんちょう ) と 弛緩( しかん ) 」
  「 興奮( こうふん ) と 沈静( ちんせい ) 」
  の
  くりかえしなのか ?

 「 これが 人生 なのか ? 」

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

  食物が 十分になく
 飢餓に 栄養不足 に
 苦しむ 人々に
 申し訳ない、 話でございます。
  ( やめたく 存じます )

  食物の 十分な生産が
 必要なのでしょう、、、、。

 「 穀物 」の 十分な分配、そのための
 物流のための通行網の整備 。

  色々と
 なすべき事が 多い世界で
 ございます。
  ・・・・・・・・・・・・・・・・
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・
  ・・・・・・・・・・・・・・・・
    ・・・・・・・・・・・・・・・・

 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

 「 < 快楽 >中心 」 と
 「 < 禁欲 >中心 」 との
 間に、

 「 中間 」( ちゅうかん )に

 『 止観( しかん ) 』
 『 戒律( かいりつ ) 』
 『 禅定( ぜんじょう ) 』

 『 冥想( めいそう ) 』
 『 徳行( とくぎょう ) 』
 『 慈悲( じひ ) 』

  などが
  あるように
  思われます。

 まずは、
 言葉 そのものを
 ともに
 味会いたく 存じます 。

、、、、、、、、、、、、、、、、、、

 まずは
 『 止観( しかん ) 』
 です。

 『 とまる( 止まる ) 』
 そして
 『 みる( 観る ) 』
 で
  ございます。

 中間に 坐り・立って
 で ございます。

 お互い、
< 止まり 観たい >と
 存じます。

 「 何を ? 」

 「 自分に
   たずね ること

   ねんごろに
   聞くこと
   自分に  」

    つづき  ます

 駄弁の饒舌
  ともに
 生きつづける
  ために
    敬と愛を
   こめて

 残月  合掌
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

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  「  嵐山 観音  」さま ( あらしやま かんのん )
    力強く お守りし 助けている
     <  不動明王 >さま ( ふどうみょうおう )
     <  毘沙門天 >さま ( びしゃもんてん )

 ・  あらしやま   ひとのこころの   まんなかで
       やさしくつつむ   ひかりなりけり  (  残月  )
                              ( 千光寺 )

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   「  今日は  猿族は 来ないな―、 人間族は ただ お一人だ 。 わんワン  」( 微笑 )

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    渡月橋から 800m で このような  静寂世界です

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    つばき ( まさに  木へん に 春 でございます )

   ・   ふゆのやま   かんぷうながる   たにまさえ
          ひそかにおわす   このよなりけり ( ・ )

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

  ・  吾 唯 足 知 ( われ ただ たるを  しる )
       いい面 < 自覚による 安定安心 そして・・・ >
       わるい面 < 強制による 支配 そして・・・ >
             また、、

    失礼いたします
  末筆ながら よき一日で
   ございますように

  どうか
 風邪に 御注意ください
 かかっても
  お早いご回復を

 厚顔  無恥
愚僧  萬拝

PICTURE 1-23-2015

  [    DECEMBER     EIGHTH      12  /   8    ]    NO ,    23

 「  IN    FACT  ,    THESE    THREE    CONCEPTIONS    OR   VIEWPOINTS
     ARE    ALL   WRONG  ,   EVERYTHING    IS    SUCCESSION   OF  
     APPEARANCES    WHOSE    SOURCE    IS    THE   ACCUMULATION   OF
     CAUSES     AND    CONDITIONS   .

        だから、 この三つの見方は みな あやまっている 。
  どんなことも、
  「 縁 」( えん )( ねん ) によって 生じ
  「 縁 」 によって 滅びるものである。

   ( 縁によって < 生 >< 滅 >する
   ( < 生滅( しょうめつ ) >に 「 こだわる 」
        ことは よくない。 註  残月  )

    、、、、、、、、、、、、、、

    THOUGH     BOTH    BODY     AND    MIND    APPEAR    BECAUSE   OF
     COOPERATING   CAUSES ,    IT    DOSE   NOT    FOLLOW     THAT
      THERE    IS   AN    EGO–PERSONALITY  .   
         AS   THE   BODY    OF   FLESH     IS   AN    AGGREGATE    OF 
       ELEMENTS    ,     IT   IS  ,    THEREFORE   ,    IMPERMANENT  .

   身体 も 心 も、
  因縁( いん えん )( いんねん )
  ( 直接的原因 と 間接的原因・外的条件 )に よって
  できている ものである 、
  だから 、 
  この 「 身体 」 には < 実体 >( じったい )は 無い 。

  『  この 「 身体 」 』 は
  ( 数え切れない ・ 無限の ・ 無量の )
  ( 数十億年の < 生命 >の連鎖の 一つの 
  ( 仮の  一時の  < あらわれ > である )

  『  「 因縁 」の< 集まり >  』 である 。

   だから、
  「 無常 ( むじょう ) 」 である 。
  つまり、 「 変化するもの 」 である 。

  (  だから、 思い込み ・  決め込み は
     よくない 。  註  残月  )    」

 ( THE     TEACHING    OF   BUDDHA     仏教聖典より 引用  ) 

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

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     「  SUMIRE      AND     KUROMATU    」  ARE    MY    FRIENDS   ,     MYSELF   ,   
                     WE    ARE    SAME    <    LIFE   >   .

   、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

    GOOD     DAY
           GOOD     LUCK
               I     HEARTILY    PRAY    .

           APPRECIATION
            JOIN    MY   HANDS    TOGETHER

           MONK   OF    ARASHIYAMA

          <    WISH    TO    ENTER   INTO    A    LIFE    OF
                     ENLIGHTENMENT     TOGETHER    >

       
 

1月22日(木) 「 釈尊( しゃくそん ) 」 その 7

  「 < 快楽 >中心 」 で なく
  「 < 禁欲 >中心 」 でもない、

  この 『 真ん中 』 に

  『 自分 』 を
  『 こころ 』 を
  『 たましい 』 を

  置きたい
  もので ございます 。

、、、、、、、、、、、、、、

  どなたも
  たいがいの お方は
  御馳走を、
  おいしい食事を
  御経験なさっていること
  でしょう 。

  御病気で
  疲れで、
  気苦労で
  食事できないことも
  御体験のことでしょう。
  もしかしたら、
  断食も。

  「 中間 」 に 立ちたい
  ものでございます。

  『 食欲 』に
  ふりまわされない、
  < 自分 >を
  < 心 >を
  < 魂 >を

  もちたいもので
  ございます。

、、、、、、、、、、、、、、、、、

  釈尊 は、小さな国ですが
 王子さまと して、生まれ育って
 います。

  「 生存 」 としての 欲求・欲望は
  十二分 満たされた ことでしょう 。

  「 生活 」 としての 欲求・欲望も
  十二分 満たされた ことでしょう 。

   でも、
  < こころ >の
  もやもやは  はれない。

  ついには、
  自分自身
  まわりの みんな、
  人間 すべて は

  「 死ぬこと 」
  「 病むこと 」
  「 老いること 」
  に
  気づく、
  そして
  苦悩する。

  「 生きるとは ? 」
  「 死ぬとは ? 」
  「 自分とは ? 」
  「 心とは ? 」
  「 善悪とは ? 」
    ・・・・・・・
      ・・・・・・・・
    ・・・・・・・・・・・・・

 、、、、、、、、、、、、、、、、、

  『 行( ぎょう ) 』 を する。

  つまり

  「 生命 」 そのもの と
  むきあう ことである 。

  名前なく
  性別なく
  年齢なく

  身長体重を わすれ
  知識を わすれ
  経験を わすれ

  「 生命 」 そのものを
  あじあう 。

  とは ?

    つづき  ます

 またしても
  駄弁 の 饒舌 を
    おゆるしを

  残月  合掌

、、、、、、、、、、、、、、、、、

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          寒山や  清きお空ぞ  宝なり  ( ・ )

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

  ・   吾 唯 足 知  ( われ ただ たる< 満足 >を しる )です。

     この言葉には、「 宗教 」 の いい面 と わるい面 がございます。

       つづき  ます

  失礼いたします。
 末筆ながら
 よき一日で ございますように 。

  厚顔   無恥
   愚僧 萬拝