2月28日(金) 「 純熟とは 何か? 」 2

よく分からない、と
言われました。

そうです。
わかりにくい。

「赤ちゃん」が「純」、
「おとな」が「熟」と
考えられます。

赤ちゃん大人。
ふむ ?
奇妙 ?

青年の理想を
持ち続ける
実社会人。
なるほど。

人を悪いように
考えたくない人。
自分を悪いように
考えたくない人。
そのために、
いいように理解しよう
と、努める人。
結局、
人は、
神の子
仏の子
大自然の子
宇宙の子
このように、
人を考えられたら
自分を
考えられたら幸福かも
しれません。
(考えれるような
生活・生存・生命
をもつ、ように
したいもので
ございます。)

『 純な心 』とは?
人を
悪く思えない
悪く思いたくない
憎めない
憎みたくない。
つまり
信じたい
愛したい
大切に思いたい
ケンカしたくない
意見がちがっても共存
(心は、同じだから)
握手と笑顔で、共存
(抱擁しなくても、
いい。微笑 )
甘え過ぎない共存
求め過ぎない共存。

『 熟した心 』とは?

私たちの
もとめるべき心とは?
理想の心とは
    精神とは
 物の見方とは?
 人の見方とは?
 事の見方とは?
 事の進め方とは?
、、、、、、

各々おのおの方さま
どうか、
御考えください
智恵をしぼってください
共に、
考えたく存じます。

また駄弁です
 でも、
敬と愛をこめて
   残月  合掌

<  春の雨
  桜の前の
   骨休め

  (嵐山 残月)>

失礼いたします。

2月27日(木) 「 純熟 とは何か ? 」

昨日、久しぶりに
純熟( じゅんじゅく )
を語る。

愚僧は、ただ、
「 清閑 」と
「 純熟 」を
人にすすめたいのかも
しれません。
そして、そのために
「 閑坐して数息 」
を実行すれば、
天地と一体に
なったような
「 歓喜 」を味合い。
生んでいただき
育てていただいた事を
心の底から
感謝できるように
なりますと、
語ってきたような気が
いたします。

幸福になるために
生活し生存し
生命をたもって
いるのですから、

ほんとうは、
上記の事が、簡単で
単純で、あまり経費も
かからず( 笑 ) 
一番よいと
感じられますが、
いざ、実行するとなると
むずかしくて
できない、ようです。

禅僧ですら、道場に
何年いても、むずかしい
ので、、しかし
心がまえ次第で
簡単だと存じます。
どこに、いようと
どこで、仕事をしようと
どんな、仕事であろうと
お仕事をしながら
というのが、
道場でも実社会でも
大切です。

通貨のやり取り
価値の交換とか
いう、意味でなく、
心( 精神 )と
体( 身体 )を
環境・外界に働きかけ
ながら、という事が
つまり、人間の仕事が
重要ということです。

心の成熟をはたしたり
心の純粋さを、
いつまでも、保つ事の
「 よろこび 」は、

山の中で、
一人では、
なしとげ、られない
気がいたします。
( いらっしゃる
  かも、しれない。
  でも、
  仏教で
  ないかも
しれません。 )

駄弁ながら
 敬と愛をこめて
  残月  合掌

< 昨日の短歌を
  もう、一度。

 純になれ
 複雑怪奇
 うそ世界
 山は山なり
 海は海なり 

 さてここで
 純とはなんぞ
 何だろう
 愛を感じる
 やさしい心

 熟すなり
 時の流れに
 さからわず
 純をたもつぞ
 いとむずかしや

 今朝

 きめこまず
 かんがえこまず
 ながされず
 ただ仏(ほとけ)のみ
 しんじてあいす

 あいすべし
 どのようなこと
 いうのやら
 すききらいなく
 大事なこの世  >

飛びつつ
失礼いたします。    

2月26日(水) 言葉から 2

みかえりを
もとめぬあいを
かんじてぞ
あんしんさとり
よろこびみちる

かんかくを
じゅんなるままで
たもつべし
ひのひかりをも
いただきうけよ

よろこびは
どこからくるの
かなしみは
どこからくるの
そのどこをしれ

しごせかい
しんだらどこへ
いくのやら
わたしはきえる
みんなはのこる

死後世界
無我世界とは
どこちがう
無我にて生きりゃ
あの世と同じ

純になれ
複雑怪奇
うそ世界
山は山なり
海は海なり

さてここで
純とは何ぞ
なんだろう
愛を感じる
やさしき心

純熟(じゅんじゅく)の
大切さをば
語ります
臨済禅や
おそろしきかな

熟すなり
時の流れに
さからわず
純をたもつぞ
いとむずかしや

駄歌なれど
敬と愛を
こめて

残月 合掌

< 清き光よ
 神の光よ
 仏の光よ
 愛の光よ

 全てを
 つつみ
 まもるべし >

失礼
いたします。

2月25日(火) 言葉から

昨日は、ミスいたしました
申し訳ございません。

一番よくない「 あせり 」
のためでございます。
反省いたします。

今日が25日であり
昨日は24日でした。
本日は、
京都・北野の
天満宮は「 梅花祭 」
です。

受験シーズンであり
連日多くの若者・御家族
のみなさまの
合格祈願お参りが
ひっきりなしで
ございます。
今日は、縁日であり
よりいっそうの
人で出ございます
でしょう。

全員合格とならないのが
まさに、人生の「 妙 」
でございます。

合格しても、
合格しなくても、
人生は、続きます。

不合格の方は
つらい事でしょう、が、
まさに人生色々です。

芸術の世界とか、
あまりに早く、世の中に
認められない方が
いいと、いったりします。

宗教の世界も、
きっとそうでしょう。
認められる訳がない
( 微笑 )

昨日のミスのもう
一つは、和歌です。
一字、ぬけていました。
失礼いたしました。

『  はるちかし
   はなみずすする
   あらしやま
  かわをながめて
  ひとりほほえむ  』 
 

以前< 言葉から >
では
『 旅人は死なない 』
を考えたことがありました
『 空の立場で
 無我にて
 神仏に
生かされながら
慈悲の光をあび
慈悲の光をはっして
行く時、
そこには、
一般的な<死>は
ないというお話
でした。   』 

  続きます

駄弁ながら
 敬と愛をこめて
   残月 合掌

< 今日の言葉
は、ありふれたものです。
宗教の世界では。
( 笑 )
でも、なかなか、
実行できない。

『 見返りを求めぬ
愛があれば、
人は必ず
立ち直れるです。 』

このような
『 愛 』の実践を
なしたいもので
ございます。

もうひとつ
『 怠惰( たいだ )な
  多忙( たぼう )』
反省させられます。

時間を、
快楽・刺激のために
多忙にしがちである。
今も昔も。

人生の本質を
考えるべきである、と。
よき、老後のために。

死ぬ前には
『 円熟 』すべき
である、という
言葉でした。
愚僧(なるほど)と
感じいりました

  若僧が
恥もしらずに、
失礼いたしました。>

飛びながら
( まただ )
失礼いたします。

2月25日(月) 質問箱 5

おはようございます。

「 質問 5っ目 」
というわけでは
ございません。(笑)

悩み苦しむ
参詣の方々も
多いので、
あいまいな、
内容で申し訳ございま
せん。

ただ、
「 生活 」
「 生存 」
「 生命 」
の、調和・バランスが
くずれやすい
現代日本社会の
ような気がしてなりま
せん。

このバランス・平衡
( へいこう )を
どう獲得するか ?

あらゆる人間の
問題のように
思えてなりません。

愚僧の考え・言葉では

『  どう 一
を、獲得し、

一で、生きながら
つまり、2345678
9 10 100 
10000、、、、、

世界( 現実 )
で、
発生する苦悩・問題を
どう解決し
どう解消し
かつ、
よき世界( 現実 )を
作っていけるか ?

大問題です。

愚僧の1つの
解答が、

一 である私が

いかに、一を支える
〇( ゼロ )に気づき

この〇( ゼロ )が
世界現実を貫き
∞( 無限 )に
つながっていると
確信・自覚できたら

安心し 幸福感を
味会うことが
できるような気がして
なりません。

そのために、
「 生命 」そのものに
なりきる
『 行( ぎょう ) 』が
  あるような気が
してなりません。

どなた様も
実行されたら、
より「 幸福 」になれ
ると存じてますが
いかがでしょうか ?

一、ゼロ、無限、という
言葉・概念(がいねん)
から、
「 仏 」「 悟り 」
「 修行 」「 菩薩 」
なども
説明できる
気がいたします。

まさに駄弁になりました
御許しを、
  されど、ささやかな
 敬 と 愛 を
   こめて。

  残月  合掌

< はるちかし
  はみずすする
  あらしやま
  かわをながめて
  ひとりほほえむ

  よのなかよ
  にんげんたちよ
  しょうせいよ
  たぼうにまけて
  かんしゃわするな

  ひえいざん
  ただあるだけの
  やまやまよ
  われらがごうを
  みちびきたまえ

      残月  >

失礼いたします。

2月23日(日) 質問箱  4

子どもの頃
小学時代、
先生に
「 お前は ピエロ か 」
と、いわれたという。
今でいう、
『 いじめ 』に
あっていた、からの
ようです。

彼は、今、
必死に 『 安心 』を
もとめている。

もう、数十年だと
存じます。
つらい、日々の連続
のようです。

しかし、
『 苦 』を 『 苦 』と
して、味会っているから
味会えるので、
必ず、
『 苦 』が、無い
状態になれると
存じます。

しかし、つらい事でしょう。
一生けん命、『 行 』を
しています。
どうか、
十方( あらゆる方向)
三世(過去現在未来)
の神さま
の仏さま
の先人さま
彼を どうかどうか
おまもり
お導きたまえ、
何卒、御願申し上げます。

昔 昔 その昔
の、事でございます。

中国大陸の
ある洞窟で、黙黙と
ただ 坐り つづけて
いる人がいたそうです。

はるかインドから、
伝道に来てくださった
仏教僧侶だったそうです

人間本来の『 心 』を
指し示すため
だけに長い旅を
されてこられています。

もう、お気づきでしょう
「 だるま大師 」さま
のことです。

七転び八起き の
「 だるま人形 」の
ダルマさん です。

お弟子が、数人います。

お一人の事を
お話いたします。

中国人です。
もう、すでに、四〇歳
くらいだったといいます。
長い間、
『 道 』をもとめて
いました。
「 どう生きるべきか?」
疑問のかたまりで
迷いに苦しみ
不安で たまらなかった
そうです。

「 安心 」しきって
天と地の間に
どっしりと
大樹のように根を
はり、坐している。
ダルマさまが
いらっしゃる事を
どこかで耳に
したのでしょう。

「 教え 」を、こいます。
簡単には、教えません。
いい事でも、
受けとる準備がなければ
かえって
害・毒の場合も
おうおうに
ございますようで。

言い伝えだから
さだかでは
ございません。
が、
「 道 ( 真理 )
をもとめるのなら
命がけでなければ
なりませんぞ 」

彼は態度・行為で 
示したそうです。

そして、質問( 入門 )
を、許されます。

ダルマさまは、
言いました。

『 どうしたのか ? 』

『 不安でたまりません、
どうしたら、
いいのでしょうか ? 』

『 そうか
  そうなのか

  では、

  その不安な( 心 )
を出してごらん。  』

『  、、、、、、、、、
  、、、、、、、、、、 』

この質問に
答え、安心を得るまで、
その日から
何日、何十日
何年たったかしれません。

関心がおありの方々は
どうぞ、
考えてみて下さいませ。

ただ、このようにして
禅仏教は、続いて
来たみたいです。
この弟子が、二代目と
なられています。

また、
次のお弟子さま
(三代目)の
質問も、考え
させられます。
またの、機会に
いたします。

駄弁・蛇足ながら
  敬と愛を
    こめて
  残月  合掌

< 清き光が
  あふれますよう。

悲しみ・苦しみが
少しでも、
へりますように。

あらゆるものが
粗末にされる事なく
大切にされます
ように。

大自然の中で
ゆっくり
深呼吸できます
ように。

小さいことに
気をとられ
ませんように。

御病気・御ケガの
なかまの
一早い御回復を。

世界の紛争よ
なくなって
ください、
今日も
子どもたちが
泣いている
のでしょう。
ああ、、、、  >

失礼いたします。

2月22日(土) 質問箱  3

何故、
名号・題目・真言に徹する
ことが、
無我・無常
空・慈悲
であるのか ?

人は、感じ
そして、思うものである。

この「 感じ 」「 思い 」
を、捨てて、
『 自分 』を
投げ捨てる、
投げ入れ、
名号・題目・真言
坐禅、諸 修行にで
ございます。

ある意味、
「 無 」になり、
「 今・ここ 」に
徹し、

今・ここ の
目前 の
当面 の




、、、、、

自分の
「 感じ 」「 思い 」に
左右・振り回されず

絶対でなくても、
今・ここ での
最善を
なそう、と
覚悟を きめる。
「 行為 」する。
うだうだ
ぐずぐず、しない。
( 反省 )( 笑 )

好き嫌い・損得
快不快・善悪
などに、支配されず
従属せず、

自分の「感じ」「思い」
から、
『 自由 』になれる、
なんという
「 しあわせ 」。

さきほどの
名号・題目・真言
坐禅・・・・
の真の修行に
徹するば、
「 自由 」 のための
「 独立 」を、獲得
できます。

社会現象でなく
個人の内面精神世界
で、ございますが、
「 生命 」そのものには
一番重要です。

「 生活・生存 」の事も
大切ですが、
個人の最終目的は、
この「 独立 」です。

なぜならば、
人間・人類は存続しても
個人は、「 消える 」
からです。
個人には、
「 死 」があり、
「 死 」を
むかえるからです。
( この問題は
  後日   )

あらゆる環境からの
「 独立 」です。
環境に、「 支配 」
されず、
環境の「 奴隷 」に
ならず、「 自由 」に
「 幸福 」を
味合い・満喫しつつ、

環境に、参加するのです
「 行為 」
「 こうい 」
「 おこない 」です。

できるだけ、
よい環境を
創造するという、
仕事でもあり
芸術であり
真の遊びです。

本来の人間の仕事を
なすことができます。
( かみさま
  ほとけさま
  うちゅうの
  だいしぜんの
  れきしの
仕事かも知れません。

こんな、楽しい事は
おそらく ないでしょう。
( 微笑 )
あこがれます。
そのように、
なりたいもので
ございます。

人間に生れてきた以上、
「自分」「 我 」を
意識して、しまった
「 生命 」として。

範囲・規模は関係なく
このように、なれた
方々を
『 人生の成功者 』と
よんでいるような
気がいたします。

失敗してしまおうと
誤解をまねき、
誹謗・中傷されようと

周りの、一切・全ての
ために、進めることが
できるかも
しれません。

謙虚で・素直で
あれば、
色々な
人が
物が
事が
助けてくれる、
気がいたします。

長くなりました、
すみません、
  つづき ます。

駄弁ながら、
  敬と愛をこめて

  残月  合掌

<  ある人に
質問されました、

「 山寺の
 復興とう
困難で
面倒な事を
よくしてますね ?
何故 ?

 小さいですが
弱小ですが
愚劣ですが

どうにか
ちいさな「独立」
「自由」「幸福」
「歓喜」を
感じているからです。

できる、できない。
という思いは
皆目、一切ない。
ただ、しているだけ。
個人的には
もう十二分満たされて
いるので
世間でいう
自己実現の仕事でない。

自分勝手
独善
自画自賛
自惚れ
アホ・ばか
なのかもしれません
でも、この、
「 幸福 感 」は
消えない。

心の底で
感じているから。

困難だけど
困難でない、
面倒だけど
面倒でない、
つらい事あれど
それは、無い、
かなしい事あれど
それは、無い。

できる範囲で
少しずつ
批判をあびながらも、

沢山の人々に助けて
いただき、
かつ、
好意・善意・
友情・愛情
慈悲心
に、包まれている事を
ひしひしと、感じて
いる 小生・愚僧
なので
ございます。

長くなりました
自分のことに
なりました。
すみません。

このごろ歌心を
忘れています。
( 大笑 )   >

失礼いたします。
今から、犬族と
散歩、なんという
「 しあわせ 」
( 微笑 ) 。

2月21日(金) 質問箱 2

今日は、弘法大師
空海和尚の縁日です。

全国、津々浦々で
「 南無大師
  遍照金剛。

  なむ たいし
へんじょう こんごう。」
が、
響き渡り、
こだますことでしょう。

『 南無阿弥陀仏
 なむあみだぶつ 』

『 南無妙法連華経 
なむみょうほうれん
げきょう 』

名号・題目・真言
に、
徹する。

無我・無常
の体得・実行
そのもの

空の体得・実行
そのもの

慈悲の体得・実行
そのもの

この、
名号・題目・真言
に、
徹する、
ことでもあります。

生命そのもの
だと、存じます。
生活の困難さ
生存の苦悩を
ぶっこえた
生命だと
思います。

忙しい
24時間の中で
30分の
坐禅も
生活・生存を離れた
生命そのものです。

生命は、全宇宙です。
宇宙の法則そのもの
です。
それは、「 誠 」
「 まこと 」
「 真心 」
「 純心 」
「 そぼく 」
「 せいじつ 」
「 すなお 」
、、、、、、、、
、、、、、、、
生活・生存を
純化していく事のみが
複雑な世を生き抜く
根源的 力・方法
エネルギー だと
存じます。

全宇宙は、
全てを守護する。

駄弁ながら
  敬と愛をこめて
    残月  合掌

< 経営の神様はいう。

「 一万回の祈りを
  捧げることや、
 大事業を
成し遂げようと
思うならば。  」

祈り・覚悟・誓願
の、大切を
おっしゃられています。

 さすがで
ございます。
ありがとうございます。 >

  失礼いたします。

2月20日(木)  質問箱より

般若心経 の ここは
どうなのか ?

以無所得故

「無所得であるから」

菩提サッタ
依 般若波羅密多 故

「さとり をもとめる
 衆生( しゅじょう )は

はんにゃ、はらみた 
に、よるが ゆえに 」

心無ケイゲ

「 こころ に
  こだわり
  ひっかかりなく
  おおいなく  」

・ 依 般若波羅密多 の
 『 依 』 は どういう
 事なのか ?

・ 真言 を となえる
  事なのか ?
  ギヤティ  ギャティ 
  、、、、、、、、

・ 『 智恵の完成 』
  に、依る(よる)

・ 『 智恵の完成 』
  とは、どういう事
  なのか ?

・ 無常と無我を
  体得。
 ( と実行 )

・ 空 の体得。
 ( と実行 )

・ 自分自身が
どれだけ、完成に
近づいているのか?

  どれだけ
慈悲ぶかく
やさしく
あたたかく
  なれて
いるのか ?

で、感じられそうです。
( 微笑 )( 笑 )
( 大笑 )
( 笑えない )

駄弁ながら、
 勝手ながら、
  恥かしながら、
    敬と愛をこめて

      残月   合掌

< 体得・実行 ?

自分自身の「 苦 」
を、減らし無くしつつ
自分以外の「 苦 」
を、減らし無くし
て行くことが
できる事 かも?。

一つの人間の
理想の在り方では
ないでしょうか ?  >

飛びながらで
 スミマセン
  このごろいつも、
  失礼いたします。

2月19日(水) 涅槃会 その5

何が、
どういう事が、

理想の 心境なのか?
幸福を 感じるのか ?
健康な精神なのか ?
最終目的なのか ?

このような疑問以前に
私たちは、生きている
事が、多い。

日常に、追われている。
生活に、フラフラである。

酒のんで、寝るだけさ。
ゲームで、楽しむさ。
どう この衣装は ?

勝ち・負けを、楽しむさ。
美貌を、競いましょう、
どちらが、美しい ?
どう これ ?
財産を、競いましょう
さあ どれ ?

競い合う事で、
この世・社会は
国家は・世界は発展
するのでしょうか ?

個人も、
競い合うことで、
成長するのでしょうか?

おそらく、
そうなのでしょう。
今、オリンピックも開催
中です。

競い合わないで、
成長・発展・繁栄
できないでしょうか ?

「 競い争い合う 」
ことだけが、
成長の『 源 』
「 みなもと・ちから 」
「 エネルギー 」
でしょうか ?

このような疑問を
持った場合、

『 道( みち ) 』
の人と、
いえるかと存じます。

どのように
考えて、
どのように
信じて、
どのように
行うのか ?

そうすると、
「 涅槃 ネハン 」
は、興味深い事と
思われてくる気が
いたします。

駄弁ながら、
   敬と愛を こめて。
      残月 合掌

< 教会の前に
  よく張っている
  ポスター
  言葉が
  ございます。
  すごいなー
  寺院も、
  これくらい
  語りかけたいなー
  と、いつも
  思っています。

  「疲れている人
   重い荷物を
  背負っている人は
  私の前に
  来なさい。
  休ませて
   あげよう。 」

嵐山 大悲閣
千光寺 でも
もっと、積極的に
なさねば。

観音経を
実践しなくては。
大反省。。   >

飛びつつ
失礼いたします。