9月3日(火) ある詩 2

    ある詩 「 花 語らず 」 の作者のことです。

  京都の東山に、南禅寺という寺院がございます。
そこの数代前の、住職さまでございます。
  世界共通語といはれる、エスペラント語を学ばられ
くらい開明的な禅の宗匠であられました。

  昔、中国には( 北禅 )という都市的貴族的学問的仏教
があったようです。 しかし、徐々に衰退していきました。
南禅寺の( 南禅 )は、大陸の南に広がっていたグループ
で、よく発展したそうです。  地方的土着的実践的仏教であり、
日本に伝えられたものにございます。

  禅思想が、『  本来  無一物  』
       ( ほんらい  むいちぶつ  )
     という語句に、象徴されることが、よくございます。
       これは( 南禅 )からの、言葉でございます。

     「 ほんとうは、 何も無い、一物すら無い 」
   「 さあ どうだ 、 さわやかでは  ないか  」
  「  いったい 何物が わたしを、 あなたを 
       悩まし、迷わし、 苦しめてるのか? 」

  明治時代からの、世界へ広がっる歴史は
面白いですが、ブログ主旨と異なるので止めたいと存じます。
( 笑 )  ただ、禅仏教の歴史で、愚僧が面白く感じている
事だけお話させてもらいます。

    インドから中国へ、伝わる時間と、
    中国から日本へ、伝わる時間と、
    日本から西欧へ、伝わる時間とが、

    三つの時間・世代数が同じという
    不思議、愚僧には、不可思議です。( 大笑 )
    何か、法則でもあるのでしょうか?( 笑 )
    予測可能に、なります。( 笑 )( なんのために )

    人類の歴史から、
    人間の歴史から、
    世界の歴史からも、

    大悲閣の歴史と未来を、考え実践
    していきたく存じます。( 笑 )(アホか)(大笑)

    しかし、≪  こころ  ≫には
    < 古今 >( いま も  むかし も )無く、
    < 東西南北 上下 >無いのだから、
    可能である。
    ( 自信過剰の大馬鹿者です )
    ( 笑えない )( 笑ってはいけない )
    ( 大反省 )

     駄弁がすぎました     残月   大合掌

<  本来  無一物  

           痛い手足も
           疲れた腰も
           病んだ体も
           あるでは、ないか?

           悲しい心も、
           辛い気持ちも、
           悪い思いも、
           あるでは、ないか?

   
      月しろく  風はきよしと  思えども
           この世はつらし  物あるかぎり

      辛くとも  目耳に教え  ふれるなば
          秋の明月  ただ 風清し

      物は物  心は心  金は金
          この教えにて  すすむ大道 

                  駄歌  三首   >

<  御病気・御ケガの( なかも )の
     一日でも お早い  ご回復を  >

    走りながら   失礼いたします。

  

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