6月30日(日)  素庵さま <9>

    僧侶・仏教者の小生が、何故、儒教を話すのか?
  と質問されました。   疑問を投げかけられました。(笑)

    ごもっともです。  でも、真の仏教は、ただ、
 「 般若の智慧で、慈悲の実践 」ですから、

 < 般若の智慧から観ると、全ては、『 仏のあらわれ 』
                       『 仏の光 』 なのです。
 < また、慈悲の実践のとき、全ては、『 師 』であり、
                           『 友 』なのです。

      小生は、このブログをとうして、

   「  よりよい人間になりたいという< こころ >を、
           気づき・守り・育てあっていきたく思います。
      よりよい社会をつくりたいという< ねがい >も、
           気づき・守り・育てあっていきたいと存知ます。

       この< こころ >
       この< ねがい >は、みんな・みんな、
          人種・民族・国家・言語に関係なく、
            もっています。( 確信 )( 笑 )( 笑えない )

     そして、ひとり・一人・個個・各々・おのおの・
          日常生活の中から< しあわせ >を
          かんじとって、いただきたい、という気持ちです。

     若輩であり( もう、言えないか )( 笑 )、
          暗愚ですから( 笑 )、
       小生の想像もできない、苦しみ・悲しみの中に、
        いらっしゃられる方々も、
          今、苦悩・苦痛の方々も、
             いらっしゃられる事でしょう、が、、、、、、。

           愚僧は、少しでも、お役に立ちたく願っています。

      ただ、そのための、方法・智慧・教え・・・・は、
    もう、すべて明らかと、小生は存じています。
    もう、10万年の人類の歴史で探究されている
                気がいたしております。
      ( こころ・精神の世界ですが、、、、、)

      実践です。  実行です。
      ただ、 実践・実行です。

         そのためには、どうすべきなのか?
     <  きっかけ・機会・チャンス・タイミング  >が大切。

   そのためには、どうすべきか? ( チャンスをつかむためには )
            <  思い、実践したいという思いを
               より強くしなくては、ならない。
               ( 純粋さ を高める  )
               ( 純度をあげる )事が大切です。

            このために、やはり、
        天地のもと、 閑坐・数息・正心が、必要なのか?
        師友とともに、閑坐・数息・正心が、必要なのか?
          ( こころ・おもい・からだ を 一つにしていく事 )
              

      古人、曰く ( いわく )
   <   (  善をなし   悪をなさない )という事
     3歳の童子も知る、されども、80歳になっても、できない。  >
               
                ガーン、 なぐられた、感じです。

       皆さま、
    あらゆる物・事・人・から、学び、実践していこうでは
           ございませんか。

                                       」

      駄弁です。
       素庵さま、すみません。    残月   合掌

  <  どのようなときでも
         こうふくを  かんじきれますように   >
  <  清き光が  満ち満ち溢れ   ますように >
  <  苦しみ  悲しさが  すこしでも  へりますように >

  <  あらゆる存在が  粗末に  されませんように  >
  <  おさなきもの  よわきものを  大切に   >

  <  まちがい  てちがい  かんちがいを、
        あまりしないように   導きくださいませ  >
  <   不平・不満・不服のまえに、ひと工夫を   
            できますように、 深呼吸     >
  <  人を せめないように。  みな師・みな友ぞ  >

  <  御病気の( なかま )の  ご回復を   >
  <  御ケガの( なかま )の  ご回復を   >

           今朝はゆっくり、失礼いたします。

6月29日(土)  素庵さま  <8>

       愚僧は、素庵さまに、私たち人間の理想の
     ありかたを、見ているのかもしれません。
    裕福なお家の子供という意味ではございません。( 笑 )

     < たくましく生きる >
     < よく 生きる   >
     の、バランスがとれている、という事です。

     < たくましく生きる >事に疲れたり、
     <  よく  生きる>事にあきたりしたら、

     <  ただ  生きる >事も、
     大切・重要に、なってきます。
     忘れては、ならない事柄です。

     いつの時代も、
     おそらく、どのような社会でも、
    < 子供の  養育  >
    < 子供の  教育  >は、

     <  たくましく生きる  ><  よく 生きる  >を、
     一所懸命に、教えている事でしょう。
     社会・集団の、つとめ・役割・義務の、
     重要な要素でしょう。

    でも、<  ただ  生きる  >を忘れて、
    社会・集団そして、家庭も個人も、
    「 奇妙 」 になってしまう事がございます。

   <  もとめすぎる  >という事です。
   「 外 ( そと ) 」にも、
   「 内 ( うち ) 」にも、
   ( 自分 )に対しても、
   ( 自分以外 )に対しても、でございます。

     <  もとめない  >という事の、
   意味・価値・( 役割 )を、忘れてはいけませんね。
   < たくましく >< よく >生き抜くためにもで、
   ございます。
      この、「 矛盾 」「 葛藤 」を
    < 忍耐 >・< 超越 >・< 突破 >する事こそ、
  私たち人間の<  心の仕事  >といえる気がします。

    さて、長くなりましたが、
  この問題・< 心の仕事 >を、
 どのように、  素庵さまは、成し遂げられたのでしょうか。
   気になるところでございます。
   今のところ、よくわかっていない。

   でも、< 心の仕事 >なさられてられることは確かです。

< ただ  生きる  >の根本・極地である、
    「  長生  」  仙人の道
    「  無生  」  解脱の道
    に関する書物の
    貸し借りを、なさっていらっしゃるでは、ございませんか。
       このことを知りました愚僧は、
       天にも昇る、気持ちでした。
           やはり、、、、、、、。

                        つづく

     駄弁ながら、敬意をこめて       残月   合掌

<   どのようなときでも   しあわせを
        かんじきれます   ように    >

<  御病気・御ケガの( なかま )の
          お早い   ご回復を     >

       走りながら失礼いたします。

6月28日(金)  素庵さま  <8>

     素庵さまは、以前<  三蘇庵   さんそあん  >という
  名前だったとか、ある本で読んだ気がいたします。

     三回死にかけて、三回蘇生( そせい )( 生き返った )
  と、言う事のようです。   このような体験をなさるぐらい、
  危険な、あぶない仕事もなさられていらしたようです。

   「  川を、知る者は、 山を知る者  」

    川の源流は、山である。
    川をよく見て、知ることで、源( みなもと )の山の成り立ちが、
    分かるそうです。

   人間と社会に、必要な大切な「 鉱石 」を、探す仕事も
   なさっています。  険しい山の中を歩き回られた事でしょう。

   山中からの、「 大木 」の切り出しもなさられています。
   愚僧も、嵐山で体験いたしましたが、一瞬も気が抜けない
   仕事です。

   山梨県の山奥に<  吉沢( よしざわ )の滝  >が、
   あるという事を、了以直孫の方に教えていただきました。
   本当の名前は、
   <  与一( よいち )さま の 滝 >だそうです。
    素庵さまの、本名は「 与一 」ですから、
    まさに、この山奥にまで、その足跡が後世に伝わるほど、
    ご活躍なさられたようです。

      ( 正しい、文字に変えなくてなりませんね。
          このことも、私たち人間のよくなす< まちがい >
          ですね。   注意・反省。  )

  以上は、 昨日の ( つづき ) でした。( 笑 )

     その主旨は、 <  よく生きる  >ためには、
    そのことを支える、  <  たくましく生きる  >という事が、
    大切だ、必要であるという事です。

         理屈でない<  生命力  >です。
         川を、さかのぼって行く < 力 >です。
         樹齢三〇〇年の大木に対峙する < 心 >です。

      私たちは、時には、山に入り、
    <  生命力 >・この< 力 >・この< 心 >を、
     何回でも、蘇生( そせい )( 生き返らせる )させなければ
     ならないと存じます。

      駄弁ですが、敬意をこめて        残月    合掌

  <   どのようなときでも
          しあわせを  かんじとれますように   >

  <   御病気・御ケガの( なかま )の
          一日でも早い    ご回復を       >

            走りながら、失礼いたします。

     

6月27日(木)  素庵さま <6>

       素庵さまは、江戸時代の初め、
    日本に、儒学・儒教を、伝え広めた方々の一人です。

      仏教もすばらしですが、儒教もすばらしい、
    どなたも、学ばなければ、ならない事の一つです。

      「 学ぶ 」といえば、
    いつの時代でも、
    中国大陸でも・朝鮮半島でも・日本列島でも、
    おそらく、現代でも、
    おそらく、世界中でも、

  < 立身  出世  ( りっしん  しゅつせ  ) >のためでしょう。
おそらく、たぶん、おおかた、
   それは、おそらく、私たち人間として当然な事と存じます。

    でも、その過程から、時々、

   大人物としか、
   奇人としてか( 笑 )、
   変人としてか( 笑 )、
   100年に一人の人物としてか( 笑 )、
   体制・秩序破壊者としてか( 笑 )、
   隠者としてか( 笑 )、
   遁世者としてか( 笑 )、
   ひねくれ者としてか( 笑 )、
   革命家としてか( 笑 )、
   落ちこぼれとしてか( 笑 )、
   、、、、、、、、

  色々な面白い人物がでてきます。

   「 学ぶ 」 ために 「 学ぶ 」人々です。
 他の人、世の中の  < 評価 >から、
別な次元で、生きています。 おもしろい。

   失敗もしやすい、
   間違いも犯しやすい、
   怠惰・怠慢・なまけの世界に入りやすい、
   独善の世界になりやすい、
   一人よがりの世界になりやすい、
  、、、、、、、、、

   でも、こんな人々が多い社会を、
  < 豊かな 社会  >と いえるかも しれません。

   とにかく、

『  いい人間に、なるために、
     いい社会を、つくるために、 学ぼう    』 
   
          では、 ございませんか。

   この気持ちを、しっかり持つ事です。
  覚悟を、決めることです。

 <  よりよい人間  ・   よりよい社会・    よりよい世界   >を、

     もとめる、希望した、人物として
    「  素庵さま  」を、 とらえたく存じます。

   駄弁ながら、覚悟を新たにして
                         残月    合掌

  <  どんなときでも   しあわせを
         感じきれます  ように    >

  <  清き光が  悲しみ  苦しみ  多い
         この世の中へ
              満ち満ち溢れ
                  ますように   >

  <  御病気の( なかま )の  ご回復を  >
  <  御ケガの( なかま )の  ご回復を  >

        小走りにて   失礼いたします。

6月26日(水)  素庵さま  <5>

       素庵さまの木碑・行状を読む。

     「 鶴林 玉露( かくりん ぎょくろ ) 」( 中国の書物 )
       を談じ、< 理 >と< 心 >と通ずればすなわち、
       節をうち歎賞す。

       若き日、
     < 聖人の道 >とは何か?と、
      寝ても覚めても
       苦悩する。

       先生いわく、
      「 心を正しうするの外(ほか)、別に余法なし 」。

       御最後の日々、
      最後の最後まで、
      若き日の師匠の教えを守り、
       儒学の根本である
      <  正心 >を、追究なさられている事、
         つまり、
      <  理  ( り )( 真理 )( 正しさ ) >と
      <  心  ( こころ )( 自分 )( 我 ) >を、
         通ずる事( 一つに成る事 )を、
         体全体で、賞賛・歓喜されている事の
            なんという、すばらしさ、でしょうか。

         『 老苦 ( ろうく )( 老いていく苦しみ ) 』
         『 病苦 ( びょうく )( 病気の苦しみ ) 』
           の中においてで、
             ございます。

            せまりくる『 死 』を感じながら、
               < 苦しみ >の中で、
               < 正心 >をもとめ続けられたという、
                      すばらしさ、
                      精神の強さを、

             一求道者として、感嘆せざるおえません。

           後世の私たちも、学ぼうではございませんか。
             社会的にいくらご活躍なさられても、
          「 老 」 「 病 」 「 死 」は、さけられないのですから。

     敬意と愛をこめて         残月    合掌

   < どんなときでも   しあわせで   ございますように  >

                 失礼いたします。

      

6月25日(火)  素庵さま  <4>

     おはようございます。
  今週で、今年も半分おわりでございます。
  本当に、月・日がたつのは、早いですね。
こんな、感じで人生も、終わってしまうのでしょうね。
   「  ご用心 ・  ご用心  」です。

   人生の最後の日が、
  今日かも知れない、
  明日かもしれない、
   「  ご用心  」です。

  何を、用心するのか?
  どういう事なのか?

    人生の最後の日と、
   「 自覚( じかく ) 」できるか、どうか?
   「  これから < 死ぬ >ぞ  」と思えるか、どうか?

 < わけがわからぬ中(うち)に、この世に、生まれくる >
  そして、
 < わけがわからぬ中(うち)に、この世から、死んでいく >
  だけなのか?

     色々な<  死  >がございます。
   <  自殺  >
   <  他殺  >
   <  病死  >
   <  事故死 >
       ・
       ・
       ・
       ・
     自分が、どのような< 死  >に、なるのか?
          どのような< 死 >を、むかえるのか?
          どのような< 死 >に、であうのか?
          どのような< 死 >を、よぶのだろうか?

       なかなか、わからない。
     他人まかせ、
     なりゆき次第、
     運命 宿命さ、
     自分の思いどうりに、なるわけない

        以前のブログ、
   「 言葉から 」、 「 <  旅人  >は死なない  」で、
   ごいっしょに考えましたね。
   <  死  >の問題は、人間の根本なので、
    何度でも、考えたく存じます。

      了以翁・素庵様の時代
    つまり、
      信長公・秀吉公・家康公の同時代に生き抜いた、

     ある武将< 軍師 >は、
    「  何月何日、午前8時に死ぬ  」といい、
      そのように、した、なったという。

    「  あっぱれ、すごい、  
      かくのごとく、なりたい。」( 愚僧 )( 笑 )
       午前8時 ( かの武将の、生まれた時間のような・・ )

  皆さん、何時が、いいのでしょうか? ( バカな事、いうな。)(おしかり)
                         ( お許しくださいませ )
       午前8時
     「  なるほど、さすが、天下一の軍師  」( 愚僧 )
       現代では、午前九時?

       素庵様の最後の日々を、語らせていただくつもりが、
    このように、なってしまいました。 明日に、いたしたく存じます。

       駄弁です、されど、されど、愛をこめて。
                   残月     合掌

   <  しあわせな  一日で  ございますように   >
   <  清き光が  この世に  溢れますように  >
   <  悲しさ  苦しみ  辛さ が
             すこしでも   へりますように   >

   <  御病気の( なかま )の   御回復を  >
   <  御ケガの( なかま )の   御回復を   >

          小走りで   失礼いたします。

         

6月24日(月)  素庵さま  ( 3 )

    了以さまの業績・行状( おこない )は、
        嵐山 大悲閣の境内に、< 石碑 >がございます。
        木像と共に、有名で、その碑文は、重要な資料です。
        愚僧が入寺時、破損していました。
        ( 本堂解体時の事故とか )
         御一族と自治体のおかげで修復できました。
        どなたも、ご覧いただけます。
        大きく、 立派な石碑でございます。

    素庵さまの業績・行状( おこない )は、
         < 木碑( もくひ ) >がございます。
        すばらしい、立派なものでございます。
        東南アジア産の、チーク材の一枚板に、
        その業績は、刻みこまれています。

        現在、仮本堂に収納しています。
        昨年の客殿大改修の時、移動いたしました。
        400年記念絵画制作もおわりましたので、
        7月からは、客殿において、ご覧いただけます。
        
        また、同時に、
        素庵さまと< 珠算・和算 >関係の事も、
        説明できるように、いたす所存にございます。
        以前、<  そろばん寺  >とよばれ、
        複雑で葛藤矛盾が多いこの世において、
        ご活躍した、古くなった< そろばん >を
        御供養していたそうです。
        ( 先代、四海 信孝 和尚 )

        これらの事も、徐々に再興いたしたく存じますので、
        皆さま方、御協力御願申し上げます。

    
   了以さまの< 碑文 >
   素庵さまの< 碑文 >
      いつでも、皆さまに、御説明できるようにいたしたく存じます。

      ご説明させていただきました。     残月     合掌

  <  今日 一日が   しあわせで  ございますように  >
  <  清き光が   満ち満ち溢れますように    >
  <  苦しみ   悲しみが  すこしでも  へりますように   >

  <  まちがい  てちがい  かんちがい  を
            あまり  しませんように     >
  <  あらゆる 存在が   粗末に されませんように   >

  <  御病気の( なかま )の  ご回復を    >
  <  御ケガの( なかま )の  ご回復を    >

             小走りにて  失礼いたします。

6月23日(日) 素庵さま  <2>

    昨日に、ひきつづき
  嵐山大悲閣  千光寺 を 創建された
角倉 了以翁そして子息 素庵さまについて、
語らせていただきたく存知ます。

    それにしても、
  「   この世の中、いい人間関係が、
     すべてを生み出す   」ことは、
  真実だな
  という気がいたします。
 
    身近に、典型( モデル )がございました。
 < 了以・素庵 >という、  <  父と息子 >です。
   私たちには、想像もできない、御苦悩・葛藤も、
  おそらく、山の如くおありの事とだったと拝察いたします。
   でも、数々の事業をお二人で、成し遂げてこられています。
    (  千人万人の協力のもと、ございますでしょうが、  )

    いい人間関係を、もつために、
         どうしたら、いいのでしょうか?

     < 純 ( じゅん ) >でなければ、
   そのために、どのように、したらいいのであろうか?

      バラバラな< 自分 >を、
      色々な< 自分 >を、
      わけがわからない< 自分 >を、
      何をもとめているのか知らない< 自分 >を、
      何が好きか、誰が好きか分からない< 自分 >を、

      複雑怪奇な< 人間 >< 自分 >自身を、
     やはり、整理しなくては、ならないですね。
   整理・整頓しても、そう<  単純  >にはならないですが( 笑 )。
   バラバラ・色々な< 思い >を、<  一  ( ひとつ ) >
          にする事は、至難でございます。

       でも、東洋では、仏教では、とくに< 禅 >においては、
    <  一  >の大切さを、語り続けています。

       < 純 >< 一 >になるための方法を、
    皆さんと、考えたく存じます。 
      人類10000年の歴史から、学びたく存じます。

      そして、  よりいい人間関係を  築き、
     この苦しみ悲しみ多い世の中を、共に、生きぬくことにより、
       個個の人間成長と、よりよき人間社会形成に、
     少しでも、役に立とうでは、ございませんか。

      横道に、それすぎました。(大笑)

  林屋  辰三郎  先生の著作からの、引用です。

  『  その光り輝く仕事とは、

        一つは、 朱印船による海外雄飛や
    高瀬舟による河川疎通だが、 父了以の名声が
    素庵の実務的功積を蔽いかくしてしまった。

        二つには、朱子学の研鑽だが、当代の二大碩儒
    惺窩( せいか )羅山( らざん )の名声が、その学統
    の形成に果たした素庵の決定的役割を忘れさせている。

        三つには、嵯峨本の刊行を中心とした芸術活動だが、
       恩師本阿弥光悦の名声のために、
     その値打ちもかきけされがちである。

        いわば蔭にかくれる人なのである。
      しかしどれ一つをとらえても、
      素庵なしには成立たない大きな歴史的業績であった。
        素庵はその点でまことに意志と情熱の人であるが、
      そのしごとの成果を誇示するのではなく、
      父であれ師であれ友であれ、
        その協力者の蔭にあって、充分なよろこびを
       感じていたといえよう。

        わたくしはこのあたりで、   
      素庵の真価を明確にしたいという強い欲求に
      かられるのである。  
                                      』

         引用は、ここまで、です。
        先生、ありがとうがざいました。

    素庵さまのために、 私たちが、よく生きぬくために。

                   残月    合掌

  <  しあわせな  一日で  ございますように  >
  <  清き光が  満ち満ち溢れ  ますように   >
  <  苦しみ  悲しみが  すこしでも  へりますように  >

  <  まちがい  てちがい   かんちがい
           あまりしません  ように     >

  <  御病気の( なかま )の   ご回復を   >
  <  御ケガの( なかま )の   ご回復を   >

           小走りにて   失礼いたします。

6月22日(土)  角倉 素庵 ( そあん )様、 ご命日。

   本年、400年忌をお迎えした、
  角倉 了以( すみのくら  りょうい )の息子が、
<  素庵  >様で、ございます。

  了以翁10代の御子様で、そう年が変わらなく、
お二人で、仕事をなさられています。
了以翁の偉業には、素庵様の支えがあって、
成就されたと、いわれています。

   徳川幕府との交渉事は、
素庵様をとうして、ほとんどなさられています。

  来週、京都東山の南禅寺 金地院( こんち いん )
へ、了以翁 15代直孫の御方とお参りいたしますが、
  まさに、徳川家と吉田・角倉家の関係を
調査・確認したいとの事でございます。

    林屋 辰三郎 先生の
著書 「  角倉  素庵  」  朝日新聞社
         朝日評伝選  19
             昭和53年3月30日 発行
   すばらしい本です。
  吉田・角倉家研究の基本図書でございます。

  引用させていただきます。

「  近世初頭の京都に生を享け、
  抜群の実務的才腕に恵まれ、
  最高の教養と研究活動を積み重ね、

   とくに書芸と出版事業に秀でたしごとを
  のこした素庵は、まさに桃山・寛永文化の
  一翼をになった人物だが、必ずしも一般に
  著名とはいえない。

   彼自身、嵯峨野の月のように、
  その仕事は光り輝いて、人柄は
  つつましく ひかえ目なのだ。
  
    わたしはそのような人に、強く惹かれる。

   その光り輝く仕事とは、一つ
                 二つ
                 三つ

                            」

    今日、京都 仁和寺の会館で、
  
   「  角倉  了以・素庵  の こころ  」という
   講演会が開催されます。
         京福電車 主催

      < 大角倉 父子 >様の御恩は
    愚僧にとりましても、 はかり知れません。
    立派な僧侶になり、御恩がえししなくてはならないと、
    覚悟いたしておる次第でございます。

       
        ご報告・ご案内     残月   合掌

  <  しあわせな  一日で  ございますように   >
  <  清き光が  満ち満ち溢れますように   >
  <  悲しさ  苦しみが  すこしでも  へりますように  >

  <  御病気の( なかま )の  ご回復を    >
  <  御ケガの( なかま )の  ご回復を    >

        小走りにて   失礼いたします
   

                       

6月21日(金) < わかっているけど  やめられない  >

     <000 したい >という人間の欲望
 願望・希望・切望・あこがれ・理想・目的・志(こころざし)が、
 大切だということは明白です。 本能でしょう。

     願望の実現の過程で、
苦しみ・悲しみに、さんざん出会うのが、人間であり、
この事により、成長・発達・改革・変身(笑)していければ、
何もいうことは、ございませんね。  ところが、どっこい、
色々な事柄により、
  私たちは、精神的にも、肉体的にも、病んでしまう。

愚僧の< 祈祷( きとう ) >(笑)(笑えない)の
一つに、
  「  刑務所 ・  病院  の役割が無くなりますように  」
が、ございますのは、
< 刑務所 >< 病院 >の苦しみ・悲しみが、あまりにも、
世間・社会・家庭に、満ちているからで、ございます。

   不平・不満・不服のレベルではなく、
もっと、もっと、深刻な事と存じます。でも、
この個人的レベルが、基本・土台ですから、重要です。
日々の、愚僧の願い< 祈祷 >にございますように、
まずは、( 自分自身 )の智慧・工夫・精進で、
克服したいものでございます。

   そして、
小生が、僧侶として、語らせてもらっている事は、

ただ、ひとつ、

  「  もとめて  もとめて   もとめて
   当然、良い事ですが、
     <  苦しみ  >
     <  悲しみ  >
     <  あらそい  >
     <  たたかい  >
     <  殺し合い  >・・を
   生みださないように、しなくては、
   ならない。
      そのための、

      『  閑坐  』  かんざ
      『  数息  』  すうそく
      『  正心  』  せいしん
      『  実践  』  じつせん

      などが、必要でないだろうか?

   <  もとめている ( 自分 )  >
   <  もとめられてる( 自分以外 )の 何か  >
   この、二つから
   独立・自由になってこそ、
   安心して、  <  もとめる事  >ができる、
   のでは、ないだろうか? ( 笑 )( 大笑い )
                ( あほ な )
                ( できるか ? )
                ( できる )
           師匠いわく  ( やれ )  

       ということです。

                     つづき ます

     駄弁ですが、愛をこめて      残月   合掌

 <  この一日が  しあわせで   ございますように  >
 <  清き光が  満ち満ち溢れます  ように  >
 <  悲しみ  苦しみが   少しでも  へりますように  >

 <  あらゆる存在が  粗末にされません  ように  >
 <  まちがい てちがい かんちがいを
        あまり  しでかさないように  御注意(笑) >
 <  工夫し、精進して、己( おのれ )を
        尽くして ごらんなさい    >

 <  笑顔は、貴重です。   和顔( わがん )
 <  やさしい、言葉はうれしい。  愛語( あいご )
 <  二つとも、 現実執着( げんじつ しゅうちゃく )を
        超越・解脱( ちょうえつ  げだつ  )してこそ、
            執着?  自己愛?

 <  御病気の( なかま )の  御回復を  >
 <  御ケガの( なかま )の  御回復を  >

             失礼いたします
 <