長い間、人間とは何か・幸福とは何か、考え追究してきました。
するとなんと、数千年の歴史に語りつがれ、先人が口すっぱくおっしゃられている、
(忍耐)と(希望)にたどり着いてしまった気がします。
そんな馬鹿な、という気持ちです。ありきたりではないか?でも、やはりそうなのか、大切なことは。
(忍耐)を身につけるには、どうしたらよいのか?
(希望)を身につけるには、どうしたらよいのか?
逆境にまけぬ・のみこまれない・ふりまわされない、自分をどう作り・保ったらよいのだどうか?
人は、(なすべき事)・(したい事)・(できる事)があり、この三つの不調和に苦るしみ、
幸福をあじわいきれずに、いるような気がします。
三つが調和し、幸福感がもてる時は、おそらく(忍耐)(希望)が、本日は、身についているのでしょう。
比較的裕福な日本人が、生きている事をつまらなく感じ、不満・不安・不服・不平だらけなのは、
(したい事)が多すぎたり、人間として(なすべき事)に気ずかなかったり、日常の小さな(できる事)を大切に
してないからかもしれない。
嵐山から、悲心をこめて。 道忠 合掌
昨日、北白川で葬儀を厳修いたしました。 頭髪を剃り、懺悔し、御仏様に帰依し、仏弟子になる儀式でもあります。 死に対する不安・恐怖・心配の、一義的な問題の解決は、仏教は明白に示しています。 二義的・三義的・四義的問題が、人を苦しめているような気がします。
戒名は、仏弟子になつた証です。 無常・無我を体得できなくても、2500年前に体得・自覚なされた釈尊を信じ帰依し、体得自覚後の平安・永遠の安らぎに、入り込みます。 この涅槃の心・境地から流れ出る、暖かくやさしく全てを包み込む(ひかり)の世界と、一つになります。
私たちは、 実社会・職業生活を営みながら、さとり(無常・無我を体得)をもとめ続けていく、忍耐・希望を失わないでいきたいものです。 少しずつ慈悲の世界に包まれていきます。
嵐山より 道忠 合掌
本日より、大悲閣境内から、お話させてもらいます。 半年かかってしまいました。 なんという遅さ。なんでも遅い、よく今まで世間でやってこれたと、つくずく思います。 多くの人々の愛情とたいへんな忍耐の
たまものと、感謝いたしております。 知恩そして報恩行とは、この事をいうのでしょう。 実践あるのみ。 (急用につき、失礼いたします。)
道忠 合掌
昨日は、保津峡のマスコミ取材の一環で、あるテレビ局の撮影が、境内でありました。機材が多いので大変です。体力がとても必要な感じでありました。 大悲閣の二町分の坂道を重たい荷を持ち登らなくてはならない。天気も不安定なこの頃。 ほんに現場の人々は、汗だくだくでした。 8-8 朝6時15分 美の世界遺産という番組だったきがします。
梅雨の時期の参詣者は、少ないです。 ゆつくりと時は流れていきます。 虫もだいぶ増えてきました。 蟹に蛙にヤゴなど渓流のそばに生息しています。 嵐山は、大悲閣道はとても涼しいです。 ゆつくり禅定にでも入ろうぞ。 なんと、おお 清掃もいっぱい、托鉢もしなくちゃ、あれお盆も近ずいてきたぞ、400年忌の大法要の準備も、、、、、、、、、。
とにかく、皆様方のおかげで現状をたもっています。 ありがとうございます。 より充実・発展へ向かって努力してまいります。 よろしくご意見・ご協力のほど、よろしくお願い申しあげます。
末筆ながら、衷心より、< 暑中お見舞い申し上げます>。 道忠 合掌
その日、夕刻お手紙を持って行く。97歳の御長寿をお祝う事と、これまでに成し遂げた善行を讃えさせてもらった。 お家の前に、看護の車が止まっているような気がしたので、心配で電話をしてしまいました。ご迷惑だと思いましたが。 すると、元気な声が響いてくるでわありませんか、ご本人そのものです。 いつも、おつしゃられています<倒れた時が、死ぬときである。>と。 御尊父様も90すぎまでお元気でいらっしゃて、お倒れになられた時、ご家族のみんなに正座して、<これからお世話になります>とご挨拶なさられたそうであります。 それから1週間、1口も水を求める事なく、従容と最後を迎えられたそうです。 人は、どのような最後であってもいいと思います。 でも何とも言い難い、おわかれではありませんか? 先生は、気力であるとおっしゃています。 人間、私心があると、力が出やすいものであります。 我欲旺盛な人は元気一杯でもあります。 私心・我欲の次の力の源を、<気力>とおっしゃているような気がいたします。 仏教では、無我・慈悲・願心とでも申せそうです。 とにかく御尊父様のような御最後を、お迎えしようと為さられています。 徳翁、97歳。 気力、天を突き地を覆う。 つずく
道忠 合掌
p・s・ 現在とは何か?きちんと定義してみろ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
私は、納得しない。 はい、・・・・・・・・・・・。宿題を出されてしまった。
10年前に、よくお参りきていたk氏が、昨日来てくださった。 弁天様をよく信仰されている。 その昔、本堂にお籠りして御読経なさった事もある。 文殊菩薩・観音菩薩それに、神道の神々も信仰されている。神仏と共に生活されている。彼の読経のお声は、よく大悲閣境内に響きわたった。もう35歳くらいになられたという。 よく遠くからよくぞ、その心と体を運んでくださった。また弁天様のお供えの、お酒・生卵までお持ちになられて、・・・・・・・・・・・・・。
龍神様・弁天様・宇賀神将様は、一つと考える事ができる。 古代から連綿とつずく尊い信仰である。 水と広く深くかかわった了以翁の寺院であるここには、三つ全てが、祀られています。 彼とお話していたら、近くにいた12歳の少年が問うてきました、<神さまは、いるのですか?>。いい少年だ。1時間ほど遊んで帰った。
k氏は、その昔、最初に問うた。 寺の入り口に、<心を開き・魂を磨き・命を味わう>と書いてますが、自分には、開くべき心がないのですが?と。 思いつめた眼差しであった。 それから10年、よくまた思い出してくれました。 ネットのおかげ・電気のおかげ・知恵のおかげ・先人のおかげ・万物のおかげ、ありがたや・ありがたや・ありがたや。
道忠 合掌
昨日は、琵琶湖をみました。水はいいな、と思ってしまう。いやだなと思う人もいることでしょう。こう考えると、感じると、何も思えなくなってしまう。 ただ南無阿弥陀仏・なむあみだぶつ・南無妙法蓮華経・なむみょうほうれんげきょう・南無大師遍照金剛・なむたいしへんしょうこんごう・南無釈迦ムニ仏・なむしゃかむにぶつ・主にありて平安・しゅにありてへいあん・
100才まで元気な人もいれば、50歳に満たず亡くなる人もいます。これが現実。だれも自分のことは、はっきりとは分からない。宗教とは何か?答えは色々あることでしょう。私が一番すぐに思い出す答えがあります。 (死を問いとして、答えるにたる、生き方を示すものである。)
道忠 合掌
寺の復興をめざして15年近くが過ぎました。 沢山の皆様のおかげで、1歩1歩進めてまいりました。今度、正式に、浄財を集めさせていただく事となりました。 会が発足しました。つまり、会の名がきまり、会長、理事長、理事、会計、趣意書、振り込み用紙、封筒、事業内容等が決まりました。御礼状が制作中です。 ここ3年もなかなか大変でしたが、ここ2年はもっと困難事が生じる事でしょう。 愚僧、身・心を清め、かつ身・心を燃やさなくてはならないと覚悟を深めている今日このごろです。
現住職が、 嵐山大悲閣千光寺を創建なされた、四宗兼学の道空了椿上人・川大名の角倉了以翁の如き人物であれば、全て解決なのでしょう。 400年後に、同じ事をなしたらいいのだから。 ここ15年で、できるだけ近ずこうと全力を尽くしてまいりましたが、恥ずかしいかぎりです。何歩近ずけたのであろうか? 馬鹿な試みだったのであろうか。いや、そうは思いたくない。
皆さん、ご意見・ご協力おねがい申し上げます。 皆様一人一人の京都・嵐山の山寺として、位置ずけられないだろうか? やはり終の棲家としての、円寂塔(納骨・位牌堂)の建立が一番なのでしょうか?菩薩になると誓い戒名持ち心の道場とする? 嵐山心学塾を設立し、塾生を募集する???????
道忠 合掌
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